Sunday, September 06, 2015

大江健三郎を読み直す(50)再生への願いを

大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』(講談社、一九八三年)
『「雨の木」を聴く女たち』に続く連作短篇集で、出版時かなり話題になったように記憶している。長篇主流だった大江が、短編集で大佛次郎賞を受賞している。私は大学院博士後期課程三年目にもかわらず、研究テーマが分裂気味で方向性を見出せずにいた時期だった。博士前期課程に進学した時のテーマは「権力犯罪と人権」だった。現在に至るもライフワークなのだが、その中で具体的に何をやるかとなると、当時は右往左往していたように思う。国家刑罰権そのものを批判的に考察するか、対極としての人格権を主題に据えるか(修士論文では人格権を論じた)、それとも刑法学の方法論を鍛えるべきか、近代刑法原則の歴史的研究に力を注ぐか。いずれも重要なテーマだが、院生が抱えるには大きすぎる。もっと絞り込まないと、論文も書けない。そんな時期に、本書を読んでいた。もっとも、思い起こすと、当時一番熱心に読んでいたのは、ミステリーだった。鮎川哲也、土屋隆夫、泡坂妻男、都築道夫、斎藤栄、森村誠一などを読んだ時期だ。島田荘司『占星術殺人事件』が登場し、島田が新本格宣言をすると、新本格ばかり読むようになったが。

『新しい人よ眼ざめよ』は、ブレイクの詩を引き寄せ、手繰り寄せながら書かれた連作である。「無垢の歌、経験の歌」「怒りの大気に冷たい嬰児が立ち上がって」「落ちる、落ちる、叫びながら・・・」「蚤の幽霊」「魂が星のように降って、骨のところへ」「鎖につながれたる魂をして」というタイトル自体が不思議な魅力をたたえていた。障害を持った子どもイーヨーとの暮らしの中で訪れる平安と危機をつづりながら、核時代の危機の中で「再生」への願いを紡ぎだす姿勢は、大江文学の主題そのものだ。数十年にわたって、繰り返し、繰り返し、まさに執拗に繰り返し問い直し、語り続け、書き直し、紡ぎ直し、ひたすら描いてきた主題だ。読者は特に倦み、疲れることもあるが、この時代から逃れることなく、自分に向き合い続けるために、必要な作業を大江はいまもなお続けている。