Thursday, September 24, 2015

大江健三郎を読み直す(51)フォークナー文学の影響

大江健三郎『核の大火と「人間」の声』(岩波書店、1982年)
大江文学のテーマである核時代に関する講演記録を中心としてまとめられた1冊。80年前後は西欧における反核運動が高まった時期であり、核軍縮の始まりを予感させた時期であった。もっとも、日本では「ソ連が攻めてくる」式のヒステリックな政治キャンペーンが展開され、国防教化、非核三原則の骨抜き化が進んでいた時期でもある。後智恵で考えると、日米安保反対の声が徐々に弱体化し、自衛隊容認論が高まって行った時期でもある。つまり、戦後民主主義と平和主義の衰退が顕著に進んだ時期であると言えよう。
大江は「核時代を生き延びる道を教えよ」とストレートに問い、「核状況のカナリア理論」を説く。

他方、「ドストエフスキーから」「作家としてフォークナーを読む」「子規・文学と生涯を読む」などの文学講演を収める。大江は本書でも文学方法論としてロシア・フォルマリズムや文化人類学の成果に触れているが、それとは別にドストエフスキー、フォークナーを取り合えている。ドストエフスキーについては埴谷雄高らとの共著もあり、フォークナーについては後の文学講演で繰り返し語っているが、両者を合わせて論じたのは本書が最初ではないだろうか。一般に文芸評論家による大江健三郎論を見ても、フォークナーに注目したものは必ずしも多くはないような気がする。ところが、小谷野敦は、大江文学はフォークナーの影響で成立したと述べていた。なるほど、と思う。もっとも、私は『響きと怒り』『八月の光』『サンクチュアリ』しか読んだことがない。