Sunday, September 27, 2015

赦しの可能性と不可能性をめぐって

ジャック・デリダ『赦すこと――赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』(未來社)

1997~98年にクラクフ、ワルシャワ、アテネ、ケープタウン、イェルサレムの諸大学で行われた講演を基にした赦しpardonをめぐるテクスト。ジャンケレヴィッチ、ハイデガー、ツェランの議論を取り上げ、ナチズムのもとで行われたホロコーストのように、赦し得ない罪をそれでも赦し得るのかと、究極の問いに挑む。例によって難解な文章で、容易には理解できない。お約束の語源探索的な理論の組み立て自体は決して難解ではないが、問いを問い直し、転換していく議論が立ちはだかる。訳者・守中高明による解説「不―可能なることの切迫――来るべき赦しの倫理学のために」を手がかりに、なんとか読み終えた。ヘーゲル、ハンナ・アーレント、そしてデリダの議論の流れが整理されている。日本の植民地支配責任や、死刑制度について考える手がかりとして理解すると、何とか議論についていける。