Sunday, March 01, 2020

星野智幸を読む(5)毒身帰属の会とは何か


星野智幸『毒身温泉』(講談社、2002年)

「毒身帰属」「毒身温泉」「ブラジルの毒身」の3作が収録されている。前2作はつながりがあり、「毒身帰属の会」の物語。「ブラジルの毒身」は、その延長で構想されたのであろうが、独立した作品といったほうが良い。

1989年に設立された「毒身帰属の会」は「独身貴族は体に毒だ」という発想からなり、「毒身者の存在の根拠は自分自身にある。毒身者は、毒身者自身という単位に帰属している。そういう単位のネットワーク」として、プリンス・シキシマによって提言された。大家が取り壊す予定の古いアパートを買い取って、「毒身帰属の会」の拠点とし、毒身者が挙動生活をするというアイデアの実現を目指す。ここに集まった人々の物語だ。性や、年齢や、家族の枠にとらわれず、人々の新たなネットワークを作ろうという試みだが、人間関係はそう単純ではない。

「ブラジルの毒身」は異色の作品だ。「天国行きのトラック」に乗った一団はブラジルに移住した日系移民たちで、アマゾンで開催される日系一世同窓会をめざす。果たして行きつけるかどうか定かでない無謀な旅の途中、それぞれの人生が語られる。浦島太郎のような体験である。語りの間にいつのまにやらトラックの乗客がどんどん増えていく。誰がいつどのように乗ったのかもわからない。無縁仏の多い地域だからか。足もとに「影」のない人々も混じる。最後に登場するおばあさんは、日本と家族から捨てられてブラジルに嫁ぐはずが、それさえままならず、ブラジルで一人で生きてきた。「婚期を逃したガイジンの年増女なんか、一人前の人間とは見なされないわけよ」。過酷な人生体験が開陳されるかと思うと、いきなり「盆踊りとカーニバルとどっちが偉いかで論争」が始まり、乗客たちは踊りだす。盆踊り派とカーニバル派のダンス合戦だ。奇妙奇天烈な挿話だ。

さて、ここから何を考えるべきか。読者は途方に暮れるが、それも作者の計算か。