星野智幸『ファンタジスタ』(集英社、2003年)
表題作「ファンタジスタ」は雑誌で読んだが、サッカー(フットボール)が日本を支配している設定に違和感があったためか、読み流した感じだった。
サッカーが野球その他をはるかに凌駕して、日本のスポーツの中心になり、ついには元サッカー選手であった政治家が首相選に出る。首相は公選制(直接選挙)になっている。最初の首相選で有力候補となったのがスター選手だった長田だ。熱狂的な人気を集め、有力候補である。
登場人物達は、選挙で投票するかいなか、誰に投票するかをしきりに話題にする。サッカーをしながら、選挙の話に明け暮れる。そうしたサッカーファン達の前に、突如、長田が颯爽と登場し、試合に出た上、その映像がニュースで流れて、これも選挙運動。
長田とは何者なのか。政策は何なのか。この国をどうしようとしているのか。わかりそうで、わからないまま、ついに選挙当日となり、スタジアムの応援の雰囲気のまま、長田が勝利する。そして「開国宣言」だ。なぜなら、戦後日本は借り物だったから、自主憲法制定が必要であり、そのために昭和天皇の戦争責任に遡ってけりをつけなくてはならないという。「日本を戦いの場として差し出す」という宣言。「ねじれた民主主義が育てた空洞」を意識しつつ、長田政治が始まる。
冒頭の短編「砂の惑星」は、埼玉の新米新聞記者の取材を通じて、現代日本のひび割れ状態を浮き彫りにする。小学校における食中毒は集団無差別殺人事件か、という冒頭の謎から、話はホームレス問題や、埼玉の林や山林の所有権問題など、よくわからないまま拡散していく。ところが、最後に、思いがけない形で話がつながる。
その中心に据えられたのが、かつてのドミニカ移民問題だ。豊かな土地での農業生活を約束され、だまされて、ドミニカの荒れ地に捨てられた日本人達。その困窮と恨み。その主人公が、林の中で演じる一人芝居を、新聞記者が追跡する。
「棄民が世は千代に八千代に細石の巌となりて苔のむすまで」。