このところ日本の近現代史については、「帝国の慰安婦」だの「反日種族主義」だのラムザイヤー論文だのと、デマ垂れ流しのフェイク歴史学に付き合わされてばかり。まともな歴史学に触れる機会が減っている。私は歴史家ではなく、法学研究者なので法学文献に学ぶ時間が多いから、歴史学文献を読むための時間は限られているのに、フェイク歴史学を批判的に検討しなくてはならない。時間の無駄なのだがやむを得ない。
年が明けて、ようやくまともな歴史研究書数冊に巡り合ったので、徐々に読み進めることにした。
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鄭栄桓『歴史のなかの朝鮮籍』(以文社)
http://www.ibunsha.co.jp/new-titles/978-4753103683/
<1947年5月2日、日本の外国人法制に登場し、今日に至るまで存続している「朝鮮籍」。植民地支配からの解放後も日本で暮らし続けた朝鮮人たちに与えられたこの奇妙な「国籍」の歴史を、日韓の外交文書、法務省や地方自治体の行政文書、裁判記録、そして政党・民族団体の残した文書などの一次史料を精緻に読み解くことで明らかにする。>
<目次>
序 章 朝鮮籍をめぐる問い
第1章 朝鮮籍の誕生──「地域籍」から「出身地」へ
第3章 戦時下の「国籍選択の自由」──朝鮮戦争と国籍問題
第4章 国籍に刻まれた戦争──いかにして朝鮮籍は継続したか
第5章 同床異夢の「朝鮮国籍」──停戦から帰国事業へ
第6章 日韓条約体制と朝鮮国籍書換運動
補 章 再入国許可制度と在日朝鮮人
終 章 朝鮮籍という錨
あとがき
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『朝鮮独立への隘路――在日朝鮮人の解放五年史』『忘却のための「和解」――『帝国の慰安婦』と日本の責任』の著者にして、権赫泰『平和なき「平和主義」』の訳者による500頁の本格的研究書である。
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序章は、なぜ「歴史のなかの朝鮮籍」なのかという問いを提示する。朝鮮民主主義人民共和国の国籍とはまったく別に、日本政府は、朝鮮半島にルーツを持つ在日朝鮮人に「朝鮮籍」「韓国籍」の表記を与えつつ、韓国籍は大韓民国国籍としながら、朝鮮籍とは国籍ではなく、「符号にすぎない」とした。韓国籍を取得しなかった人々を指し、無国籍の者も、朝鮮民主主義人民共和国の公民も「朝鮮籍」としてきた。正式の朝鮮籍を持つ者に対しても「符号としての朝鮮籍」を付与するという奇怪な話である。
植民地支配の清算をすることなく、朝鮮民主主義人民共和国を敵視し、韓国と国交正常化しながら差別意識を持ち越した日本社会は、この二重のねじれ状態を続けてきた。在日朝鮮人の法的地位、出入国の自由が日本政府の恣意的で身勝手な理屈で大幅に制限されてきた。
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第1章「朝鮮籍の誕生──「地域籍」から「出身地」へ」は、朝鮮籍という奇妙な「符号」が、なぜ、いかにして登場し、それが最高裁による合憲判断というお墨付きを得て、定着していくのかを解明する。「地域籍」として考案された朝鮮籍が、朝鮮独立との関係で揺れ動き、外国人登録令の施行によって「出身地」表記に変容していく過程である。
後に韓国と朝鮮という二つの国家が形成されるのを横目で見ながら、日本側は、戦前から戦後への国家の換質を計り、日本社会は平和主義と民主主義という欺瞞的アイデンティティをつくり始める。そのために在日朝鮮人を排除し、日本人による日本人のための国家――単一民族国家への道を整備しなければならない。それが日本国憲法と外国人登録令をセットにした整備マシーンの創設であった。国内的には、日本国憲法と外国人登録令は矛盾すると受け止められるだろう。しかし、当時の日本国家にとって、日本国憲法と外国人登録令は補完的であった。「朝鮮人」を「日本人」から切断し「朝鮮人」に変容させる仕組みであり、「外国人」の創設である。自由も人権もない「外国人」が必要とされたのは、「日本国民」の自由と人権を確保するためでもある。
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第2章「南北分断の傷痕──韓国籍の登場」は、済州島4・3事件、麗水・順天事件、など「内戦」状態を経て、朝鮮半島の南北分断が現実化した時期、在日朝鮮人の「国籍」がいっそう複雑化させられていく。日本側は冷戦状況での占領政策の「逆コース」の時期でもあり、輝ける「平和憲法」と「戦後民主主義」の下でのナショナリズムと「国民」再統合の時期でもある。
本書では、金斗鎔、金日成の書簡、宋性澈らの見解を確認し、朝連による民族教育の権利と在日朝鮮人の法的地位をめぐる議論を明らかにしている。阪神教育闘争である。朝鮮民主主義人民共和国の成立後、団体等規正令により朝連は解散させられ、全財産が没収された。独立朝鮮国国民として認められるどころか、基本的人権そのものを全否定される。
他方、大韓民国の成立、韓国国籍法の制定、金正柱論文、全斗銖論文を検討した上で、韓国籍の登場(朝鮮籍への批判)の過程を分析する。韓国政府の主張を一部取り入れて、日本政府は韓国籍表示を認めるが、朝鮮表示と併用になる。
かくして、在日朝鮮人が分断される。外国人登録上の国籍表示をめぐって、南北対立が生み出される。祖国の分断が在日の分断につながる。そこに日本政府が介入する。朝鮮民主主義人民共和国表示は否定する。
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2018年8月に国連人権高等弁務官事務所で、国連人種差別撤廃委員会が日本政府の報告書を審査した。この時、ある委員が日本政府に対して「たった一晩で100万人単位の朝鮮人の国籍が剥奪されるという出来事があった。これは人類史において他になかった出来事である。なぜこのようなことが起きたのか」という趣旨の質問をした。日本政府はまともに答えようとしなかった。
たった一晩で100万人単位の朝鮮人の「国籍」が剥奪されるという異常事態をつくり出したのは日本政府・法務官僚だが、日本社会も憲法研究者もその後、このことを疑問視しない異常さである。
この異常さの真の原因を解明するため、鄭栄桓は歴史資料の海に漕ぎ出す。国際法や在日朝鮮人運動史には優れた先行研究があるが、それでもまだまだ事実が明らかでないし、歴史的評価も定まっていない。鄭栄桓は、戦後日本国家の異形ぶりに驚愕しながら、その変容を丹念に追跡する。これと対峙した在日朝鮮人運動の側の対応も含めて、戦後日本の動態の中に位置づけるために、日本国家の論理と心理を抉り出す。つまり、「歴史のなかの朝鮮籍」とは「日本国家論」そのものである。