鄭栄桓『歴史のなかの朝鮮籍』(以文社)
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第6章 日韓条約体制と朝鮮国籍書換運動
補 章 再入国許可制度と在日朝鮮人
終 章 朝鮮籍という錨
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第6章では、日韓条約締結による在日朝鮮人の国籍理解の変化とこれに対する批判を扱う。日本と韓国は双方の妥協の結果としてあいまいな条約を結び、自国の都合に合わせて解釈した。国籍について、日本は韓国籍だけが真実の国籍であるとして、朝鮮籍を否定しようとした。これに対して、朝鮮民主主義人民共和国が厳しく批判を加えた。朝鮮総連も、日本の法律家による在日朝鮮人の人権を守る会も、政府方針を批判し、朝鮮籍を唱えた。朝鮮総連は朝鮮民主主義人民共和国籍を想定した。守る会の森川金寿はポツダム宣言受諾により朝鮮籍を認めたという論理を提示した。
1970年代、朝鮮国籍書換運動が本格的に始まる。法務省の指令に抵抗する革新自治体が登場し、福岡県田川市が第1号となった。国と地方自治体が意見を異にし、正面から激突する事態となった。鄭栄桓は、法務省見解、田川市長見解、福岡県、そして田川市の弁護団などの主張と法理を突き合わせ、守る会の若手だった床井茂(弁護士)の証言も聞きながら、攻防のドラマを描き出す。
床井茂弁護士は、1989年~2006年、「在日朝鮮人・人権セミナー」を組織し、実行委員長だった。私が事務局長を務めた。当時、床井弁護士から多くのことを教わったが、朝鮮国籍書換運動のことは具体的には聞いていないため、私の知らないことが書かれている。
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補章「再入国許可制度と在日朝鮮人」では、近代国家の出入国管理の基本、戦前日本における制度設計、戦後日本における再入国許可証制度の形成を辿り、現在に至る再入国許可制の問題点を描き出している。指紋押捺拒否闘争に対する制裁としての再入国許可の取り消しも記憶に新しい。1990年代以後は、新たな移住者の増加に伴って制度改編が続くが、そこでも出入国の自由という観点ではなく、日本側の都合――高度人材、円滑な移動、不法入国者の排除という在留管理制度が揺るぐことはない。朝鮮に対する制裁に伴って、在日朝鮮人の再入国許可の制限も行われた。
「そもそも植民地支配のもとで渡日を余儀なくされ、結果として朝鮮人の生活圏は日朝をまたぐものとなったにもかかわらず、戦後の入管体制はこれを強引に寸断し、旅券を持たない大多数の在日朝鮮人は事実上日本に閉じ込められることになったが、それを制度的に支えたものの一つが法務大臣の自由裁量を前提とした再入国許可制度であった。戦後日本において再入国許可制度が演じてきた役割は、在日朝鮮人の歴史的形成の在り方と真っ向から対立するものであったといえる。」
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法務官僚がしばしば「わが国の在留管理や入国管理は精緻に設計された素晴らしい制度である」かのごとく自慢をする。それは在日朝鮮人を犯罪者扱いして徹底管理・抑圧するという公安目的に照らして「よくできている」という意味でしかない。憲法が保障するはずの移動の自由は根こそぎ否定され、法務大臣の自由裁量に委ねられている。もう1点、日本の出入国管理制度は実際は極めてずさんである。というのも、日米安保条約に基づいて、米軍関係者は自由に出入国し、在留しており、日本政府はこれを正確に把握することができない。一方で在日朝鮮人に異様に厳しく、他方で米軍関係者にフリーパス同然のいびつな出入国管理制度である。
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終章「朝鮮籍という錨」では、本書の骨子をまとめた上で、朝鮮籍であるがゆえに被る不利益が大きいにもかかわらず、なぜ少なからぬ人々が長年にわたって朝鮮籍を選び続けたのかと問う。
「朝鮮籍者の韓国入国問題」として、朝鮮籍であり、朝鮮民主主義人民共和国訪問歴もある著者自身が国際学術シンポジウム参加のために韓国入国を申請したがこれを拒否され、ソウルで裁判を闘い、結果的に敗訴した経験が語られる。韓国籍であること、韓国籍でないこと、朝鮮籍であること、朝鮮籍でないことが持つ意味には、近代日本による朝鮮植民地支配とその帰結に由来する極めて特殊な来歴と記憶が関り、戦後の朝鮮半島の分断、冷戦構造と日本の政治的位置に由来する、更に特殊な来歴が影を落とす。歴史に翻弄されながら、しかし、朝鮮籍の人々はいかなる願いと、いかなる決意で自らの選択を行い、いかに生きてきたのか。
「朝鮮籍者はなぜ、この不安定な『国籍』にあえて踏みとどまってきたのか。それは一見すると『足枷』にみえるこの朝鮮籍が、ある人々にとっては『分断状況』の激流のなか、自らの尊厳を守るための『錨』であったからではないだろうか。なぜ朝鮮籍なのかという問いは、なぜ錨を手放さないのかという問いに等しい。それゆえに『なぜ』という問いは、錨を必要とする状況を作り出してきた者たちにこそ、向けられねばならないのではないだろうか。」
こうして鄭栄桓の歴史研究は、日本列島と朝鮮半島の近代史そのものを撃ち抜きつつ、鄭栄桓自身の生き様を照らし出す。歴史研究を遥かに超えた歴史研究が、その全貌を現す。だが、その真義を私はまだ十分把握することができていない。
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日本人であることとは、この社会で自分が何者であるかを問われることがないこと、自分が何者であるかを説明し続ける必要のないことを意味する。日本人であることとは、自分の立ち位置をつねに測定する必要のないことを意味する。
誰もが個人的で、卑小な、だが本人にとっては枢要な「自分探し」を迫られることはあるだろう。それは「普通」は個人の内面の物語であり、家族の物語である。
在日朝鮮人の場合、自分探しが歴史と国家と民族に直結している。個人の内面が国際関係に縫い取られている。「普通でない」。日本人であれば、安直に「普通」という言葉を選択できるが、在日朝鮮人は「普通でない」人生を予め強制されている。巨大な歴史の歯車に押しつぶされそうになりながら、これを乗り超える歴史学――在日の歴史学とは、生きることが闘いであるような生き様を実践する学問である。
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朝鮮籍については、中村一成による在日朝鮮人への聞き取りも名著である。
中村一成『ルポ 思想としての朝鮮籍』(岩波書店)
https://maeda-akira.blogspot.com/2017/02/blog-post_3.html
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2005年5月、イスタンブールのホテルで会った韓国籍の在日朝鮮人と一緒にイスタンブール空港に行った時のことだ。搭乗手続きの際に、彼は、フライトチケットと、韓国政府発行のパスポートと、日本政府発行の再入国許可証を提示した。ところが、パスポートには「Lee」と記載されているのに、チケットと再入国許可証には「Ri」と記載されていたため、搭乗手続きの職員が入管職員を呼んだ。異なる複数のパスポートを所持していると見做されたからである。怪しい人物になってしまう。駆け付けた入管職員に取り囲まれる。再入国許可証とは何か、在日朝鮮人とは何かを説明したが、混乱するばかり。パスポートを引っ込めて、チケットと再入国許可証による出国と登場を認めてもらうまでに時間を要した。フライトにぎりぎり間に合ったが、運が良かったというべきか。これがイスタンブールでなくてニューヨークだったらと思うと油汗。
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ソロモン諸島のガダルカナルに滞在してオーバーステイになったことがある。オーバーステイと気づいた瞬間、背筋がぞっとした。大村収容所、強制送還という言葉が頭をよぎった。
フィジーからソロモン諸島に行き、1週間のビザだった。最終日の飛行機でナウルへ行く予定だったが、ナウル航空のフライトがダブルブッキングで乗れなかった。やむをえずホテルに戻って部屋に入った時に、「オーバーステイだ」と気付いた。慌ててホテルで相談したところ、「土曜の午後だから役所はあいていない。月曜日まで待たないと」と言われた。オーバーステイの恐怖から、日曜は外出せずにホテルにこもっていた。月曜の朝に役所に行くと、「帰りのチケットは持ってるんだろ。特に問題ないよ」と言われ、事後的に滞在期間を延長してくれて、ほっと一息ついた。
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ちなみに、ガダルカナルでの用件は下記の通り。
ガダルカナルの空と海に