松井茂記『表現の自由に守る価値はあるか』(有斐閣、2020年)
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2月15日、最高裁判所は大阪市条例によるヘイト・スピーチを行った者の氏名公表について初めての判断を下した。
氏名公表のヘイトスピーチ抑止条例は「合憲」 最高裁が初判断
https://www.asahi.com/articles/ASQ2H4VY9Q2HUTIL008.html
最高裁「合憲」判断、ヘイトスピーチ抑止の大阪市条例
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE1508L0V10C22A2000000/
大阪市ヘイト規制条例「合憲」 表現の自由巡り、最高裁が初判断
https://mainichi.jp/articles/20220215/k00/00m/040/292000c
なお、一審判決について
https://www.asahi.com/articles/ASN1K4W12N1KPTIL00R.html
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前回も引用したが、松井は大阪市条例における、ヘイト・スピーチをした者の氏名公表等について検討し、「脅威を感じただけで、表現行為が制約されうるというのは、あまりにも広すぎるのではなかろうか」、「あまりに主観的であり、客観的な基準に欠けるのではないだろうか」(69頁)、「おそらく、この条例では、市長が法的な措置をとることまでは想定されていないのではないかと思われるが、このような広範な基準を欠く、包括的な権限付与は、憲法上疑問ではないかと思われる」(69~70頁)という。
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しかし、最高裁は、「表現の自由の制限は合理的で必要やむを得ない限度にとどまる」と述べ、合憲と判断した。裁判官5人の全員一致である。
一審の大阪地裁も二審の大阪高裁も同じ判断であった。一審と二審の合議の内容は不明だが、最高裁は全員一致である。つまり、11人の裁判官のうち、少なく見積もっても9人が合憲と判断したことが明らかであり、私の推測では一審・二審を含めて11人全員一致だろうと思う。違憲論にはまともな根拠がないからだ。
大阪市条例は、橋下徹市長(当時)の諮問を受けた審議会が答申を出し、吉村洋文市長(現府知事)時代に大阪市議会で制定された。審議会には弁護士や法学者が参画している。
朝日新聞によると、現在同様の条例が9つあるという。神戸市、東京都、国立市、世田谷区などが有名だ。それぞれの条例制定にあたって、審議会・協議会等で弁護士や法学者の意見交換を踏まえている。
大阪市条例が制定されて以後、少なくない弁護士と法学者がコメントを発表したし、論文も多数書かれている。その多くが、大阪市条例を違憲とは想像だにしていない。神戸市、東京都、国立市、世田谷区の条例についても、これを違憲と主張する法学者が果たしているだろうか。
全体としてはこれまで数十人の法律家たちが、大阪条例方式を合憲と見ていることは、いちいち引用するまでもない。
たとえ百人の法律家が合憲と主張しようとも、疑問があれば疑問を表明するのは当然であるし、違憲の疑いがあればそのように主張するのも当然である。だが、私なら、具体的に、事実と論理に基づいて違憲であると論証しようとするだろう。一般論を並べて「憲法上疑問ではないかと思われる」と念仏を唱えても意味があるとは考えられない。
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さて、松井は「1-8 ヘイトスピーチの現在」において、ヘイト・スピーチ解消法制定4年経た段階での状況に言及し、「1.8.2 ヘイトスピーチの合憲性を支持する最近の学説」という項目を設ける(77~83頁)。これは「ヘイトスピーチ禁止の合憲性を支持する最近の学説」の誤りである。
ヘイト規制合憲論として松井が取り上げるのは、師岡康子、小谷順子、桧垣伸次、奈須祐治である。
さらに「1.8.4 ヘイトスピーチの将来」と題して、ここでもヘイト規制合憲論として、師岡、桧垣、奈須説を検討している(84~88頁)。
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松井は「最も積極的にヘイトスピーチ禁止の合憲性を支持するのは、師岡康子教授である。師岡教授は、批判的人種理論に従って、ヘイトスピーチが社会生活全般に及ぶ差別の構造の構成要素の一つであり、その煽動が差別構造全体を強化するという特質をっ重視する。」と言う(77~78頁)。さらに、ヘイト・スピーチの深刻な人権侵害、社会の破壊という害悪、被害者となるマイノリティの自己実現、対抗言論との関係などについて師岡の主張を紹介した上で、松井は合憲論に批判を加える(86~88頁)。
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松井は「師岡康子教授」を最大の批判対象に据えている。具体的には師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書、2013年)を取り上げる。それ以外の師岡の論考は一つも取り上げない。
松井は本当に『ヘイト・スピーチとは何か』を読んだのだろうか。この本の著者である師岡康子(弁護士)が「教授」であるとは聞いたことがない。ヘイト・スピーチ問題に関心のある者なら誰でも知る通り、師岡はヘイト・スピーチ問題にいち早く取り組み、国際人権法や外国法における議論を紹介し、現場でヘイトに対抗言論を駆使し、被害者救済に奔走し、立法や条例制定についても理論的に多大の貢献をしてきた。この10年間、ヘイト・スピーチの議論を牽引してきた理論的指導者と言って良い。大学教授に相応しい資質と研究業績が十分すぎるほどあるが、「教授」ではないはずだ。
肩書問題は些細なことだが、ここで私が言おうとしているのは、師岡弁護士が、上記新書だけではなく、数多くのメディアを通じて、その都度意見表明をし、論考を発表してきたことだ。2020年段階の著書で師岡説を批判的に検討するのなら、7年前の新書だけではなく、ヘイト・スピーチ解消法制定後に出た師岡の編著や、雑誌『世界』に掲載された諸論文等々も踏まえるべきだろう。
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松井は、現在はブリティッシュコロンビア大学教授であり、「はしがき」には「バンクーバーにて」とある。このため日本におけるヘイト・スピーチ関連文献をあまり参照していない。偶然手にしたごく一部の文献を引用するだけだ。在外研究だから仕方がないのだろうか。
どの学問分野でも当然のことだが、まず先行研究を踏まえて、それらを批判的に乗り越えることが重要な課題である。それゆえ、すべてではないにしても、主要な先行研究をチェックして、論ずべき論点を明確にし、批判対象を正しく批判することが出発点である。
日本でもヘイト・クライムとヘイト・スピーチの長い歴史がある。そして、現在論じられているように、2000年代からあらためて注目されるようになり、2009年の京都朝鮮学校事件、徳島県教組事件、2012年頃の大久保ヘイトデモ、2013年以後の川崎ヘイトデモ等々を通じて議論が高まり、法律や自治体条例の制定につながった。この10年余りの間に、論点が増え、研究が次々と公表され、膨大な新しい情報が追加され、それらを踏まえてさらに議論が進められている。師岡はその討議の中心に立ち続けてきた。松井は、そのほとんどに関心を示さない。
一昔前なら、在外研究の場合、日本語文献の入手は容易でなかった。しかし、いまではネットを通じて、あるいはネット販売を通じて、かなりの程度の文献入手が可能である。私自身、昨年までの勤務先が美術大学であったため、大学図書館に法律文献はない。法律文献は自分で入手しなければならなかった。重要な法律文献が各大学の研究紀要に掲載されるため、その入手に腐心したものだ。この10年は、Repositoryのおかげでネットを通じて入手することが容易になっている。在外研究だからといって7年前の新書本を批判するだけでは、師岡説の検討としても極めて限界があるだろう。
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ヘイト・スピーチ関連文献は膨大だが、法的研究に限っても例えば次の様な重要文献がある。
師岡康子監修『Q&Aヘイトスピーチ解消法』(現代人文社)
櫻庭総『ドイツにおける民衆扇動罪と過去の克服』(福村出版)
金尚均編『ヘイト・スピーチの法的研究』(法律文化社)
金尚均『差別表現の法的規制: 排除社会へのプレリュードとしてのヘイト・スピーチ』(法律文化社)
在日コリアン弁護士協会編『ヘイトスピーチはどこまで規制できるか』(影書房)
在日コリアン弁護士協会編『在日コリアン弁護士から見た日本社会のヘイトスピーチ』(明石書店)
法学セミナー編集部編『ヘイトスピーチとは何か』(日本評論社)
法学セミナー編集部編『ヘイトスピーチに立ち向かう』(日本評論社)
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また、各大学で発行されている研究紀要類には数多くのヘイト・スピーチ法関連論文が公表されている。その多くがオンライン上で公表され、容易に入手できるようになっている。私の『序説』『原論』『要綱』では、各大学の研究紀要類に掲載された論文を数十本紹介した。このブログでも紹介し続けている。
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まともな社会科学の世界では、先行研究を検討して議論の到達水準を確認・共有し、その上で論者のオリジナルな主張を展開するのが常識である。そうしなければオリジナリティの有無を確認できない。先行研究のほとんどを無視して、ひたすら自説を託宣することが憲法学の世界では通用しているのだろうか。