Friday, July 29, 2022

衰退途上国の現在を分析する

白井聡『長期腐敗体制』(角川新書、2022年)

【目次】

序 章 すべての道は統治崩壊に通ず――私たちはどこに立っているか?

第一章 二〇一二年体制とは何か?――腐敗はかくして加速した

第二章 二〇一二年体制の経済政策――アベノミクスからアベノリベラリズムへ

第三章 二〇一二年体制の外交・安全保障1――戦後史から位置づける

第四章 二〇一二年体制の外交・安全保障2――「冷戦秩序」幻想は崩壊した

第五章 二〇一二年体制と市民社会――命令拒絶は倫理的行為である

あとがき

白井は、なぜ、この国ではいつも頭から腐っていくのか?と問い、その構造的理由を解明しようとする。なぜ、いつも頭(トップ)から腐るのか!?(全身同時に腐り始めるような気もするが)

不正で、無能で、腐敗した組織が続く構造的理由を分析すると、「悪徳の三拍子」がそろった現在に気づく。

不正=間違った政治理念を追求。ないしは、その理念に動機付けられている

無能=統治能力が不足している

腐敗=権力を私物化し、乱用している

そして、第二次安倍政権以降の状況は「安倍政権」ではなく「安倍体制」と呼ぶ方が的確だという。体制とはトップが入れ替わっても権力構造が基本的に変わらない状態を指し、個人名に重きを置く政権とは違うからだ。安倍が首相を辞めて、菅や岸田が首相になっても「安倍体制」=二〇一二年体制=長期腐敗体制に変わりはない。日本は先進国ではなく、衰退途上国だという。

このことを白井は近現代日本の政治史に即して、位置づけなおして論じている。

『永続敗戦論』『国体論』『「戦後」の墓碑銘』などに続く日本分析は、シャープであり、議論を誘発する力がある。

衰退途上国というのは当たっているだろうか。衰退先進国かもしれない。

Monday, July 25, 2022

講演レジュメ「人種差別禁止法をつくろう」7.26

「生きる力、つながる力、考える力」第2

2022726日(火)午後1時~

ステッチ(玉川上水駅)

 

人種差別禁止法をつくろう

――辛淑玉さんのDHC「ニュース女子」名誉毀損裁判を手がかりに

前田 朗(朝鮮大学校法律学科講師)

 

 

1 「出自に着目した誹謗中傷」

       「人権の現場から5」

  ・東京地裁判決

  ・東京高裁判決

  ・判決を引き出した力――辛淑玉さんの闘い

              弁護団の闘い

              支援の輪

  ・当たり前の判決を得るために、なぜこれほど苦労するのか

 

2 ヘイト関連裁判の現状

年表

主なヘイト・クライム/スピーチ事件裁判

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/06/blog-post_15.html

 

3 ヘイト関連事件の歴史と現在

年表

主なヘイト・クライム/スピーチ関連年表

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/06/blog-post_16.html

 

4 差別とヘイトを許容する現行法

  ・差別禁止は憲法第14条のみ

  ・日本国憲法の限界

  ・差別の根拠としての日本国憲法

     ・天皇制と国民主権

     ・国民概念(憲法第10条)と「国民の権利」論

     ・外国人の権利規定の削除

     ・女性の権利規定の大幅削除

  ・女性差別撤廃条約批准と国内法

     ・男女雇用機会均等法、男女共同参画基本法

  ・人種差別撤廃条約批准と国内法

     ・ヘイト・スピーチ解消法、障害者差別解消法、部落差別解消法、アイヌ新法

 

5 差別とヘイトを助長する法律学

  ・差別禁止法を求めない憲法学

     ・身分差別としての天皇制批判の欠如

     ・歴史認識問題(=院略戦争・植民地支配問題)の混迷と無視

     ・「国民」概念への臣従

  ・ヘイト規制に反対する憲法学

     ・マジョリティの特権擁護と表現の自由論

     ・民主主義とレイシズムは両立するか

     ・人間の尊厳を認めない憲法学

 

6 差別国家の現在

――国際人権機関からの改善勧告

       ➡『さようなら!福沢諭吉』

  ・人種差別撤廃委員会

  ・国際自由権委員会

  ・女性差別撤廃委員会

  ・子どもの権利委員会

  ・国連人権理事会・普遍的定期審査

 

7 人種差別禁止法の提唱

       『さようなら!福沢諭吉』

  ・前史

  ・外国人・人権法連絡会案

  ・部落解放・人権研究所案

  

Friday, July 15, 2022

「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議再勧告実現! 7.24 集会

日本政府、君が代の強制で、国連機関にまた叱られる!

        ~それでもまだ歌わせますか?~

「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議再勧告実現! 7.24 集会

 

2022 7 24 日(日曜日)

   13 40 分~16 40 分(開場 13 20 分)

会場 日比谷図書文化館 (B1F)

   日比谷コンベンションホール

  〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園 1-4  03-3502-3340

資料代 500

主催 「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議

 

いま学校は、上位下達の徹底、教科書への政治介入など、国家による教育支配が進み、格差、いじめ自死、教職員の過重労働など疲弊しきっています。 

 東京では、「国旗に向かって起立し国歌を斉唱せよ、ピアノ伴奏せよ」との職務命令に従わなかったとして、484名の教職員が処分され、強制は子どもにまで及んでいます。

 2019 年春、ILOとユネスコは日本政府に、「日の丸・君が代」の強制を是正するよう勧告しました。画期的な初の国際勧告です。

 しかし、文科省も都教委も、勧告を無視し続けており、私たちはセアートへ訴え続けてきました。

 その結果、昨秋、日本政府への再勧告が盛り込まれた第 14 回セアート最終報告書が採択されました。今後 I LO 総会で議題にされます。

 子どもの未来、明日の教育のために、勧告実現に一緒に取り組みましょう。

 

プログラム

■基調講演

 勝野 正章(東京大学)

  「現代社会における教師の自由と権利-教員の地位勧告から見る世界と日本」

 阿部 浩己(明治学院大学)「再勧告の意義と教育の中の市民的自由」

■特別講演

 岡田 正則(早稲田大学)「学問と教育と政治」

■座談

  「勧告を得るってどんな価値があるの?実現の困難は克服できるの?」

   阿部 浩己、寺中誠(東京経済大学)、前田 朗(東京造形大学)

■教育現場の声

 

呼びかけ人 34 人(50 音順)

阿部 浩己(明治学院大学教授)/荒牧 重人(山梨学院大学教授)/池田 香代子(翻訳家)/石山 久男(子どもと教科書全国ネット 21 代表委員)/岩井 信(弁護士)/内田 雅敏(弁護士)/大森 直樹(東京学芸大学教授)/岡田 正則(早稲田大学教授)/落合 恵子(作家、クレヨンハウス主宰)/小野 雅章(日本大学教授)/児玉 勇二(弁護士)/小森 陽一(東京大学名誉教授)/佐野 通夫(大学教員)/澤藤 統一郎(弁護士)/島薗 進(上智大学教授、東京大学名誉教授)/清水 雅彦(日本体育大学教授)/白井 劍(弁護士)/鈴木 敏夫(子どもと教科書全国ネット 21 代表委員・事務局長)/醍醐 聡(東京大学名誉教授)/高嶋 伸欣(琉球大学名誉教授)/高橋 哲哉(東京大学名誉教授)/田中 重仁(弁護士)/角田 由紀子(弁護士)/中原 道子(VAWW RAC共同代表)/成嶋 隆(新潟大学名誉教授)/新倉 修(青山学院大学名誉教授、弁護士)/野田 正彰(精神病理学者)/朴 保(ミュージシャン)/花崎 皋平(哲学者)/堀尾 輝久(東京大学名誉教綬)/前田 朗(東京造形大学名誉教授)/三宅 晶子(千葉大学名誉教授)/森川 輝紀(埼玉大学名誉教授、福山市立大学名誉教授)/安川 寿之輔(名古屋大学名誉教授)

Thursday, July 14, 2022

安倍元首相銃撃事件はヘイト・クライムではない

安倍元首相銃撃事件は衝撃的な出来事であり、夥しい情報が流れている。未確認情報やデマやフェイクも膨大だ。そんな中でフェイクに基づいて発言したくないので、社会的発言は控えてきた。

 

安倍元首相銃撃事件の報道については、月刊誌『マスコミ市民』に連載中のコラムで「民主主義に対する最大の侮辱――安倍元首相銃撃死事件報道」という文章を書いた。事件直後のマスコミ報道への批判である。出版されるのは月末になるだろう。

 

それ以外は特に発言予定がなかったが、昨日、「安倍事件はヘイト・クライムですか」という質問が複数届いた。

 

インターネット上で、「安倍事件はヘイト・クライムだ。在日朝鮮人に対して人種民族に基づくヘイト・クライムが起きているのと同じように、安倍事件は宗教に絡んで暴力が起きたのでヘイト・クライムだ」と主張している人がいると言う。

 

いったい、なぜこのような突拍子もないことを考え着くのだろうか。

 

一言言及しておかないと、ヘイト・クライムやヘイト・スピーチという概念に対する誤解がますます広がってしまう。

 

ヘイト・クライムとは、人種、民族、言語、皮膚の色、宗教などの属性を動機として、人に対して行われる差別的な暴力犯罪である(前田朗「ヘイト・クライムとは何か」『明日を拓く』131号、2021年)。

 

ヘイト・クライムの具体的な定義は国によって異なり、国際人権法上の共通の定義はないが、もっとも簡略にいえば、「差別動機に基づく暴力犯罪」である。独立の犯罪とされる場合もあれば、刑法上の刑罰加重事由とされる場合もある。

 

アメリカの2009年のヘイト・クライム法は、2つの事件をきっかけに制定された。1つは黒人であるがゆえに襲撃された被害者、もう1つはゲイであるがゆえに、セクシュアルマイノリティであるがゆえに狙われた被害者の事件である。

 

2021年にヘイト・クライム法が保護する対象はアジア系出身者に拡大された。新型コロナ禍でアジア系出身者に対する事件が多発したためである(前田朗「COVIDヘイト・クライム法――アジア系住民への差別と暴力」『部落解放』821号、2022年)。

 

ここで肝心なのは、宗教的ヘイト・クライムは、「宗教を動機に行われる差別的な暴力事件だ」ということである。「宗教に関連する暴力事件」ではない。

 

典型例は、欧州におけるユダヤ人差別に基づく暴力事件である。ユダヤ人襲撃事件やユダヤ人墓地に対する破壊が知られる。

 

安倍元首相銃撃事件については、事件直後に「政治テロだ」「言論に対する挑戦だ」「民主主義に対する挑戦だ」というデマが大量に流された。TVも新聞もネットニュースもSNSもフェイクの山である。フェイクの山に「宗教的ヘイト・クライムだ」というデマが加わった。

 

安倍銃撃事件の真相はまだ不明の点が残り、真相解明が続けられる必要があるが、これまで報道された情報によると、霊感商法で知られる反社会団体の「統一協会」によって家庭が崩壊した被害者が、私怨から、統一協会に報復しようとし、統一協会と近い安倍晋三を銃撃したという。霊感商法の被害者が、霊感商法の広告塔である安倍元首相を成敗した事件である。

 

銃撃は許されない。そもそも銃撃は誰に対しても許されない。仮に安倍元首相によって家庭崩壊に陥った被害者であっても、安倍元首相に対する銃撃は許されない。

 

事件がこのようなものであったとすると、これはヘイト・クライムではない。事件は「宗教を動機に行われる差別的な暴力事件」ではない。

 

事件は「宗教を装った反社会団体に対する報復としてなされた暴力事件」である。

 

反社会団体の広告塔となった芸能人は、メディアでさんざん叩かれてきた。反社会団体と付き合ったと報じられて引退を余儀なくされた著名芸能人もいる。

 

ところが、反社会団体の広告塔である安倍元首相は国葬だと言う。この国が反社会団体に乗っ取られている。

 

今年の1月には、橋本徹(前大阪市長・前府知事)を「ヒトラー」呼ばわりしたことをヘイト・スピーチだなどと奇妙な非難をする発言が相次いだ。ヘイトの意味が全く理解されていない。困ったものだ。

「ヒトラーだ」はヘイト・スピーチではない

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/01/blog-post_27.html

ヘイト・スピーチ研究文献(203)平和学とヘイト・スピーチ05

佐藤潤一「ヘイトスピーチ規制の現状と課題」佐藤『法的視点からの平和学』(晃洋書房、2022年)

ヘイト・スピーチを犯罪とする欧州諸国の多くは、社会的法益に対する罪として理解している。ヘイト・スピーチは、差別と暴力の威嚇や名誉毀損・侮辱であると同時に、差別と暴力の煽動(「みんなで差別しよう」という呼びかけ)である。つまり、単に個人的法益に対する罪ではなく、社会的法益に対する罪である。

このことは、犯罪成立要件にもかかわる。

というのも、個人的法益に対する罪は、通常、結果犯である。殺人罪は人が死ぬという結果が発生してはじめて成立する。実行行為の攻撃があっても人が死ななければ、殺人未遂罪になる。

これに対して、社会的法益に対する罪は、結果の発生ではなく、危険の発生にポイントがあることが多い。放火罪は、他人の住居・建造物を故意に燃やすことだ。人の財産、生命、身体を燃やし、毀損してしまう。ただ、人の財産、生命、身体は放火罪の「客体」であって「保護法益」とはされていない。放火罪の保護法益は「公共の安全」とされている。人の財産や生命という個人的法益とはされず、不特定又は多数の財産、生命にかかわるため、公共危険犯とされている。

例えば、殺人者がAB2人を殺せば、2つの殺人罪が成立する。ABの生命はそれぞれ独立に保護されるからだ。

ところが、放火犯が1つの放火でCの家とDの家を燃やした場合、(現住)建造物放火罪は1つしか成立しない。社会的な、公共の安全を侵害したからである。

ヘイト・スピーチの場合も同じことが言える。

京都朝鮮学校事件の刑事裁判では、個人的法益の侮辱罪が認定された。これは学校法人朝鮮学園を被害者としたからである。もし隣にもう1つ別の学校法人朝鮮学園があれば、侮辱罪が2つ成立するだろう。

ヘイト・スピーチを認定する場合は、2つの学校法人朝鮮学園があっても、1つのヘイト・スピーチになるだろう。ヘイト・スピーチによって朝鮮人に対する差別と暴力を公衆に呼びかけ、煽動することで、民主主義や人間の尊厳、又は社会参加を妨げたからである。

朝鮮人の集住地域に押しかけて差別と暴力の煽動を行った場合、個人的法益であれば、名前を特定された被害者の権利・利益が侵害されたと見ることになる。2人の被害者がいれば、2つの侮辱罪となる。名前が特定されなければ、名誉毀損も侮辱も成立しないとされる。

ヘイト・スピーチと認定する場合は、名前を特定されなくても、そこが朝鮮人の集住地区であることから、民主主義や人間の尊厳が侵害されたと見て、1つのヘイト・スピーチが成立する。

このように、ある犯罪を個人的法益と見るか社会的法益と見るかは、本質にかかわると同時に犯罪成立要件にも関わる重大な問題である。だから刑法学では、法益の把握が極めて重大問題となる。

何度も引用した通り、佐藤は「集団に対する名誉棄損あるいは侮辱を個人的法益の侵害があるとみなし得る場合に限って処罰対象とするのであれば、必要最小限度の公共の福祉に基づく規制と解されるのではないかと主張したい」という(114頁)。

つまり、佐藤はヘイト・スピーチを個人的法益に引き付けて理解し、社会的法益に対する罪としてのヘイト・スピーチを不処罰とする。

1に、佐藤の議論は犯罪の本質を理解しない議論となっている。犯罪をその本質に即して処罰するのではなく、別の犯罪類型に当てはめて処理しようとするのだろうか。

2に、個人的法益として理解し、侮辱罪に引き付けて考えるのであれば、最初から侮辱罪で立件すれば良い。ヘイト・スピーチ法を制定する必要はないはずだ。佐藤の主張は限りなく現状維持に近い。

ただ、私の見解は、これに尽きない。私自身は、ヘイト・スピーチは社会的法益と個人的法益の双方を保護法益とすると理解できるのではないかと思案中である。

京都朝鮮学校襲撃事件の時に、私は次のような議論をした。

――本件の被害者は、事件発生時に教室で泣いていた児童生徒たち、学校教師たち、連絡を受けて駆け付けた保護者たち(ハルモ二、アボジたち)だけではない。同校卒業生、元教員、元保護者たち、京都だけでなく全国の朝鮮学校の生徒・教師・関係者、そして在日朝鮮人全体である。さらには朝鮮半島の、つまりソウルやピョンヤンの朝鮮人も被害者となりうる。

現場で直接罵声を浴びせられた人々の権利・利益が蹂躙されたのと、社会的法益が侵害されたのと、両方を考える必要がある。その意味でヘイト・スピーチの保護法益は、社会的法益を基本としつつも、個人的法益も複合的に又は重畳的に保護されると見るべきではないのか。当時も今もこのように考えている。

このように考えると、個人的保護法益に着目する佐藤の見解に一理あることも、否定できない。これはいまだに私自身の課題である。

Tuesday, July 12, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(203)平和学とヘイト・スピーチ04

佐藤潤一「ヘイトスピーチ規制の現状と課題」佐藤『法的視点からの平和学』(晃洋書房、2022年)

安倍元首相銃撃死事件の衝撃で、あれこれ多忙だったため、ブログの更新が滞った。

それにしても、マスコミと政治家の反応は酷いものだった。悪質な霊感商法などで知られる宗教団体によって家庭崩壊に陥ったことへの恨み(私憤)に発する銃撃事件の可能性が高い。政治的テロではない。ところが、メディアは「テロを赦すな」「言論への挑戦だ」「民主主義への挑戦だ」などと騒ぎ立て、歴史上最大の民主主義破壊犯である安倍元首相を「民主主義の殉教者」に仕立て上げた。歴史偽造の最たるものである。

メディアのやっていることは「民主主義への最大の侮辱だ」と、月刊誌『マスコミ市民』8月号(予定)に書いた。

銃撃は誰に対しても許されない。犯罪的な宗教団体の宣伝に役立っていたとしても、銃撃の理由にはならない。だが、家庭を破壊し、他人を不幸のどん底に落とすことで有名な宗教団体の宣伝に加担してきた政治家をどう評価するか。

以下、本題。佐藤のヘイト・スピーチ論へのコメントである。

佐藤は、思想の自由市場論を前提にしており、「『ブランデンバーグ原則』に従った要件の提示が必須である」と、アメリカ判例を直接、日本憲法に適用するべきだとしている。これらの点については、私の著書やこのブログで、すでに何度も批判してきたので、例えば下記に譲る。

思想の自由市場論への批判

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/04/blog-post_16.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post_3.html

アメリカ法に従うべしという議論への批判

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/04/blog-post_14.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post.html

佐藤は註38)において次のように記述している。

「規制積極説と理解される刑事規制の観点からの包括的な研究としては、前田朗『ヘイトスピーチ法研究序説――差別煽動犯罪の刑法学』(三一書房、2015年)がある。」(122頁)。

この本で私はすでに、思想の自由市場論への疑問、及びアメリカ法に従うべしという議論への疑問を提示している。

しかし、佐藤は思想の自由市場論に立ち、アメリカ法に従うべきと唱える。理由は示さない。日本人たるものアメリカに従うのが当然と考えているように見える。

2の論点は、ヘイト・スピーチ規制の保護法益論である。

ヘイト・スピーチの法的性格論と言っても良いが、保護法益をどう理解するかは、単に性格論だけでなく、犯罪成立要件やその認定方法および基準に影響する。

佐藤は「集団に対する名誉棄損あるいは侮辱を個人的法益の侵害があるとみなし得る場合に限って処罰対象とするのであれば、必要最小限度の公共の福祉に基づく規制と解されるのではないかと主張したい」という(114頁)。

また、佐藤は「個人的法益の侵害があるとみなし得る場合に限って、集団に対する名誉棄損あるいは侮辱を処罰対象とするのであれば、必要最小限度の公共の福祉に基づく規制と解されるのではないかと解する。」と言う(116頁)。

ここで佐藤は、ヘイト・スピーチを、個人的法益に対する罪としての名誉毀損罪や侮辱罪に引き付けて考えている。

また、佐藤は、松井のいう第3(差別の煽動・助長)及び第4(憎悪の増進)の類型については刑事規制を否定する。第3及び第4の類型は社会的法益と理解される範疇だ。つまり佐藤は社会的法益として理解されるヘイト・スピーチの規制には反対し、個人的法益に限定して規制できると主張している。

刑法学では一般に法益を次の3つに分類する。

1.個人的法益――殺人罪、傷害罪、窃盗罪、詐欺罪のように、生命、身体、自由、財産、名誉など、個人の法益(権利や利益)が侵害される犯罪。

2.社会的法益――放火罪、往来妨害罪、文書偽造罪のように、公共の安全や平穏や、社会秩序の維持など、社会の法益が侵害される犯罪。

3.国家的法益――内乱罪、外患罪、汚職の罪、公務執行妨害罪のように、国家の安全や機能など、国家そのものの法益が侵害される犯罪。

刑法学の中には、これとは別に国際的法益を論じる見解もある。国際人道法違反の犯罪を扱う場合、法益も国際的となる。

また、社会的法益や国家的法益がすべて明確に区分され、すべて見解が一致しているわけではない。

さらに、日本の刑法典は、必ずしも3類型に即した条文編成になっているわけではない。第2章の内乱罪にはじまり、冒頭に国家的法益に対する罪が出て来るが、その後、第8章以下で社会的法益となる。第12章の住居を侵す罪や第13章の秘密を侵す罪は社会的法益だけでなく個人的法益で理解しやすい。題14章のあへん煙罪以下では社会的法益だが、第20章の偽証の罪は国家的法益に戻る。第22章のわいせつや強制性交(旧強姦罪)の罪は、昔は家長の権利を侵害すると考えられたからここに位置するが、現在では個人的法益と理解される。第25章は汚職の罪でふたたび国家的法益となり、第26章の殺人の罪以下第40章の毀棄・隠匿の罪までは個人的法益である。

それではヘイト・スピーチはどうか。

ヘイト・スピーチ規制の保護法益は、私見では主に民主主義及び人間の尊厳であり、これは社会的法益である(ただし、私見では個人的法益を排除しない。この点は後述)。

刑法学者の金尚均(龍谷大学教授)はヘイト・スピーチの保護法益を「社会参加」に見ている。「**人を殺せ」「**人を追い出せ」といったヘイト・スピーチは、標的とされたマイノリティの社会参加を否定するからである。私見で民主主義を挙げているのと同じことだが、民主主義という理解は広汎で漠然としているので、社会参加と見た方が明確かもしれない。

ヘイト・スピーチの特性は、標的とされた団体だけに向けられるのではなく、社会の公衆にも向けられる。差別のメッセージは、被害者にも向けられるが、同時に被害者以外のマジョリティに向けられる。「みんなで差別しよう」という呼びかけである。ここにヘイト・スピーチの重要な特質がある。

ラバト行動計画や人種差別撤廃委員会一般的勧告35号や国連ヘイト・スピーチ戦略は、いずれもこの複合的特徴を前提として、ヘイト・スピーチの刑事規制を明示し、その解釈方法も提示している。

私はもともと比較法研究には関心が薄いし、特に必要に迫られない限り比較法研究を行ってこなかった。しかし、ヘイト・スピーチの議論では、「アメリカではヘイト・スピーチを規制しないから、日本も同じにするべきだ」「アメリカのブランデンバーグ原則を適用するべきだ」という奇妙奇天烈な見解が横行している。12年前、憲法学者の「主流」「通説」は「ヘイト・スピーチを刑事規制するのはナチスの歴史があるドイツだけであり、民主主義国家では規制できない。現にアメリカは規制できない」というデマを吹聴していた。しかし、圧倒的多数の民主主義国家はヘイト・スピーチを刑事規制する。そしてアメリカでもジェノサイドの煽動を始め、一部のヘイト・スピーチを規制する。二重の意味でフェイク憲法学だ。

やむを得ず、世界各国のヘイト・スピーチ法を紹介してきた。この12年間に調査した結果、世界150か国以上でヘイト・スピーチを禁止している。どの国も少なくともタテマエは反差別の姿勢を示す必要があるからだ。

私が調査したのは、その国の憲法状況、差別禁止法、ヘイト・スピーチ法、刑法、犯罪統計、判例などの一部に過ぎない。このため、それぞれの国でヘイト・スピーチの保護法益をどのように理解しているかを十分明らかにしていない。

ただ、西欧諸国の多くは刑法典に規定を設けており、それらを社会的法益に対する罪と位置付けていると思われる。個人的法益とは異なる体系的位置に置かれている。東欧諸国の近年の刑法規定も、ホロコースト否定犯罪のように、社会的法益としている。

以上から言えることは、国際人権法でも多くの諸国の刑法でも、ヘイト・スピーチは主に社会的法益で理解されており、名誉毀損や侮辱などの個人的法益に対する罪とは異なる性格の犯罪だということである。(この項続く)

Tuesday, July 05, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(203)平和学とヘイト・スピーチ03

佐藤潤一「ヘイトスピーチ規制の現状と課題」佐藤『法的視点からの平和学』(晃洋書房、2022年)

2回にわたって佐藤論文の概要を紹介した。以下では私の観点からのコメントを付していきたい。

佐藤と私にはいくつか共通点がある。佐藤は、植民地支配論がヘイト・スピーチ論議に関連すると考えている。国際人権法の視点で物事をとらえ返す姿勢も共通である。差別やヘイトをなくすために様々な手法が採用されるべきであり、刑事規制はその一部に過ぎないと考えている。差別禁止法やパリ原則に従った独立の人権機関が必要であると見ている。このように共通点はいくつもあるが、その程度というか、ニュアンスはかなり異なるかもしれない。佐藤説はヘイト・スピーチのごく一部について、ごく限定的に、規制が許される場合がないわけではないという立場であり、消極説に近い中間説といった印象である。

1に植民地支配論である。

佐藤は、「日本の植民地支配と、その結果としての特別永住者の存在が、ヘイトスピーチを行っている人々と無関係であるはずがない」とし、主に板垣竜太の、ヘイト・スピーチを「レイシズムという大きな問題の氷山の一角」に位置づける見解を参照する(8990)。ただし、佐藤は、「この板垣の問題意識それ自体は共有しつつ、しかし第3章で検討するようにこれは明らかに規制積極説の立場であり、憲法との関係では問題があると解される」という(91)。この点はいささか理解しにくい。

私も板垣論文はいくつも読んで学んできた。植民地支配の歴史的事実を解明した上で、過去の植民地支配の責任にとどまらず、ポスト・コロニアリズム、継続する植民地主義の観点から、現在もなお植民地主義の影響が継続しているので、現在の植民地支配責任も射程に入れている。植民地支配の結果として形成された歴史的構造的差別はその代表であり、植民地支配責任論の一環として差別の克服が課題となる。そもそも差別は否定されるべきだが、さらに加えて植民地支配に由来する差別の根深さや被害の深刻さに照らして、差別を撤廃すること、したがって差別の煽動を撤廃することは、国家と社会の責務であろう。つまり、板垣の問題意識を共有するということは、植民地支配をした側であるこの社会のマジョリティの一員として、植民地支配の被害を受けたマイノリティに対する差別の撤廃のために、私たちは何をするべきなのかと考えることである。マジョリティが有している特権的地位にしがみつくのではなく、特権のない、差別のない社会をどうつくるのかである。

佐藤が共有するという問題意識は、具体的に何を意味するのかが明示されていないが、差別の撤廃という課題を共有しつつも、差別の煽動の撤廃の方法としての刑事規制には「憲法との関係では問題がある」というのであろうか。差別の煽動の撤廃自体について佐藤はどう見ているのだろうか。

憲法学者の中には、ヘイト・スピーチの議論において、差別問題に一切言及せず、差別の撤廃にも関心を示さず、ひたすら表現の自由を唱えてヘイト・スピーチの規制に反対意見を述べる論者が少なくない。自分の見解が差別とヘイトの容認・温存・擁護であることに気付いているはずだが、この点には一切の言及を避ける。この社会でヘイト・スピーチを受けずに済んでいる自分の特権を懸命に擁護しているように見える。

佐藤は差別の撤廃について本論文では踏み込んでいないが、他の論文で何度も差別撤廃を論じている。ただ、差別の煽動の撤廃については、「特定されうる集団のメンバーに対する差別の煽動や助長」の刑事規制を否定している。差別の煽動の撤廃を否定して差別の撤廃は可能だろうか。差別の煽動は歴史的に形成された差別構造があるから生じるのではないだろうか。特権的地位にしがみつかないマジョリティは、歴史的に形成された差別構造とその上に成り立つ差別の煽動の撤廃に責任ある対応をするべきではないだろうか。

佐藤は「歴史的視点の欠如」を指摘して、次のように述べている。

「第一の問題点として、歴史的視点の欠如を挙げることができる。ヘイトスピーチ解消法の法案提出者や法務省が前提しているのはこの問題が『近年』『近時』の問題であるということである。」(8990)

これに続いて佐藤は板垣の歴史認識を引用して、「板垣の問題意識それ自体は共有しつつ」と明言している。ただ、それではどのように共有するのか、共有した結果、どのような論理を展開するのかは示されない。差別の撤廃や差別の煽動の撤廃の議論の中で歴史認識がどのような位置を占めるのかが読み取れない。結論として「憲法との関係では問題がある」と言って切り捨てる形になっている。つまり歴史的な問題意識を共有しようが共有しまいが、ヘイト・スピーチ刑事規制に消極的な点は変わらない。「第一の問題点として、歴史的視点の欠如を挙げることができる」と言いつつ、歴史的視点の欠如した論者と同様の結論になるとすれば、歴史的視点があろうがなかろうが事態に変わりはなく、憲法は歴史を超越しているのだろうか。

2018年の人種差別撤廃委員会で、日本政府は、「ヘイト・スピーチ解消法は『ヘイト・スピーチは許されない』と定めた」と報告した。人種差別撤廃委員たちは「この法律はヘイト・スピーチを許しているのではないか。どうやって許さないのか書いていない」と質問したが、日本政府は回答することができなかった。日本政府と異なり、「板垣の問題意識それ自体は共有」する佐藤は、どう回答するのだろうか。

ヘイト・スピーチ研究文献(203)平和学とヘイト・スピーチ02

佐藤潤一「ヘイトスピーチ規制の現状と課題」佐藤『法的視点からの平和学』(晃洋書房、2022年)

5章 ヘイトスピーチ規制の現状と課題

1節 「ヘイトスピーチ」解消法を考えるための視点

2節 法的課題検討の前提

3節 「ヘイトスピーチ」刑事規制の再検討

結語 「ヘイトスピーチ」規制の課題

佐藤は第3節で、刑事規制についてさらに検討を加える。

3節 「ヘイトスピーチ」刑事規制の再検討

1 「ヘイトスピーチ」刑事規制の再検討

2 「差別的表現」の規制か「憎悪(煽動)言論」の規制か

3 刑事規制以外の手法

1の「ヘイトスピーチ」刑事規制の再検討では、佐藤は人種差別撤廃条約第4条を留保した日本政府の見解を詳しく引用する。そして、師岡康子及び桧垣伸次の規制積極論を批判する。師岡について、佐藤は「具体的な構成要件等についての提言はなされていない」という(111頁)。桧垣について、佐藤は、「承認としての尊厳」を保障しようとするものと見て、「仮に平等原則からこのような『承認としての尊厳』が保障されるべきことが導かれるとして、なぜそれが表現の自由の保障に優位すべきであるのかは明らかとは言えない」と批判する(111頁)。さらに佐藤は、奈須裕治(そしてウォルドロン及びバレント)を取り上げつつ、自説の結論を旧稿から引用する。

 「ヘイトスピーチ規制が刑事罰として許されないという憲法解釈をするとすれば,むしろ現行の刑法規定にあるわいせつ物頒布罪,名誉毀損罪,侮辱罪等は全て憲法違反ということにならないであろうか。はっきりと名指しで行われる名誉毀損や侮辱罪は,むしろヘイトスピーチよりも対抗言論での問題解消が容易であろうし,わいせつ物頒布の禁止に至っては,ゾーニング規制が世界的な趨勢であることとつじつまが合わない。表現の自由を制約する刑事規制を全て憲法21条違反とする極端にラディカルな立場に立たない限り,マイノリティの人格権侵害が認定される場合にはかかる行為をヘイトクライムとして立法化することが必須であると解される。確かに構成要件の厳格化が必要ではあるが,名誉毀損,侮辱については,すくなくともヘイトスピーチ解消法の定義に該当するマイノリティに対して拡大することなくして,問題が解消するとは思われない。」

佐藤潤一「ヘイトスピーチ規制の法的問題点」『国際人権ひろば』133

https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/section4/2017/05/post-13.html

2の「差別的表現」の規制か「憎悪(煽動)言論」の規制かで、佐藤は、1990年の内野正幸『差別的表現』の提案を引用し、これを松井茂記の所説を参照しつつ、批判する。すでに紹介した3つの類型のうち、第3と第4については規制を否定しつつ、第1と第2については、「集団に対する名誉棄損あるいは侮辱を個人的法益の侵害があるとみなし得る場合に限って処罰対象とするのであれば、必要最小限度の公共の福祉に基づく規制と解されるのではないかと主張したい」という(114頁)。そして佐藤は「その際には、いわゆる『ブランデンバーグ原則』に従った要件の提示が必須である」と言う(114頁)。

3の刑事規制以外の手法で、佐藤は、民事規制や刑事規制以外の手法はあり得ないのであろうかとして、「インセンティブによるヘイトスピーチ縮減の可能性」(115)について検討する。1つは「教育を通じた啓蒙はでに一定程度行われてはいる」として、「法務省サイト内にある人権擁護局による、『ヘイトスピーチ、許さない』のページはその典型である」と言う(126)2つ目に、「社内研修などによる啓蒙を税控除に結びつけるような環境法領域で行われている仕組みはヘイトスピーチ解消のための施策にも応用可能であろう」とする(115)3つ目に、地方自治体のプロジェクトに予算を付けるためには、「枠組み条例」の必要性が肯定されるという(116頁)。

そして佐藤は「罰則規定は、憲法31条からしても明確性の原則を免れえない問題があるのに対し、インセンティブの付与は、知事や委員会制定の『規則』でも可能だからである。特にCSRの視点からの人権の促進が、たとえば企業による『ヘイトスピーチ』拡散問題のような事象の解決にも結びつくであろう」という(116頁)。

最後に佐藤は、結語の「ヘイトスピーチ」規制の課題において、結論をまとめる。

「以上検討してきたように、繰り返しになるが、名誉棄損あるいは侮辱罪にいう『人』について、人種的・民族的・宗教的マイノリティ集団の構成員個人に対して名指ししたと同一視できるような場合に限って、すなわち、個人的法益の侵害があるとみなし得る場合に限って、集団に対する名誉棄損あるいは侮辱を処罰対象とするのであれば、必要最小限度の公共の福祉に基づく規制と解されるのではないかと解する。したがって、『ヘイトスピーチ』=「憎悪(煽動)言論」規制の理念法としての解消法に止まらない刑事罰規制のための法改正は、限定的に可能であると解する」(116頁)。

さらに佐藤は「人種差別撤廃条約に実効性を持たせるための一般的差別禁止法の制定や、パリ原則にしたがった国内人権機関の設置が検討されるべきであろう」としつつ、そうは言っても、「ただちにヘイトスピーチ規制のために既存の刑法が適用可能になるわけではないし、本稿で検討してきた国内法状況からすれば、民事責任追及が結局中心となるであろう」(116頁)と締めくくる。

Sunday, July 03, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(203)平和学とヘイト・スピーチ01

佐藤潤一「ヘイトスピーチ規制の現状と課題」佐藤『法的視点からの平和学』(晃洋書房、2022年)

佐藤は大阪産業大学准教授、憲法学者だが、最初の著書が『日本国憲法における「国民」概念の限界と「市民」概念の可能性――「外国人法制」の憲法的統制に向けて』(専修大学出版局、2004年)であり、国際人権法にも詳しい。本書は先に出版した『平和と人権』を大幅に改定したもので、ヘイト・スピーチの論文は大阪産業大学の紀要に発表した論文が元になってるという。

また下記の論稿があり、本稿と重複する。

佐藤潤一「ヘイトスピーチ規制の法的問題点」『国際人権ひろば』133

https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/section4/2017/05/post-13.html

5章 ヘイトスピーチ規制の現状と課題

1節 「ヘイトスピーチ」解消法を考えるための視点

2節 法的課題検討の前提

3節 「ヘイトスピーチ」刑事規制の再検討

結語 「ヘイトスピーチ」規制の課題

冒頭で佐藤は「ヘイトスピーチ解消法は、ヘイトスピーチ解消の必要条件ではあるが十分条件とは言い難い」とし、憲法と国際人権法の視点から、外国人の権利や、ヘイト・スピーチ規制について検討するという。

1節 「ヘイトスピーチ」解消法を考えるための視点

1 歴史的視点の欠如

2 判例の検討

(1)      政見放送削除事件判決

事実の概要と判旨

考察

(2)      街頭宣伝差止め事件

事実の概要と判旨

考察

3 「ヘイトスピーチ」解消法の概要

(1)      法律の概要

(2)      附帯決議

2節 法的課題検討の前提

1 人種差別撤廃条約4条とその留保

2 「ヘイトスピーチ」規制の積極論と消極論

3 「ヘイトスピーチ」規制積極論への疑問

1節・第2節は以上の構成である。第1節では、歴史的視点の欠如の指摘と、2つの判例の検討が、いかなる関係にあるのかわかりにくい構成だが、書かれている内容は的確であり、理解しやすい。

ヘイト・スピーチは「近年」始まったという、とんでもない誤謬が堂々と語られていることに対して、佐藤は「歴史的視点の欠如」を指摘し、「しかし日本の植民地支配と、その結果としての特別永住者の存在が、ヘイトスピーチを行っている人々と無関係であるはずがない」とし、主に歴史学者の板垣竜太の、ヘイト・スピーチを「レイシズムという大きな問題の氷山の一角」に位置づける見解を参照する(8990)

ただし、佐藤は、「この板垣の問題意識それ自体は共有しつつ、しかし第3章で検討するようにこれは明らかに規制積極説の立場であり、憲法との関係では問題があると解される」という(91)

この点はいささか理解しにくい。ヘイト・スピーチ現象の歴史的根源を解明する板垣の認識は、まずは歴史的背景や事実に関わる。それが「明らかに規制積極説の立場」なのだろうか。なるほど、板垣は規制積極説に立っているだろう。だが、歴史的事実を基にヘイト・スピーチについて語ることが、法規制の積極・消極にただちに飛躍するわけではないだろう。板垣は、歴史的事実として「植民地支配」を論じ、その上で次に「植民地支配責任」の論理を展開しているはずだ。植民地支配責任の一環としてレイシズムの抑止・是正、それゆえヘイト・スピーチの規制が求められることになるが、両者は区別される問題だ。佐藤もそのことは理解しているはずだが、佐藤の記述は、スペースの制約のためか、両者をいきなり等号で結んでいるように読める。この点については後にあらためて述べる。

判例の検討では、佐藤は政見放送削除事件最高裁判決と京都朝鮮学校の街頭宣伝差止め事件判決を分析し、後者について、ヘイト・スピーチを民事不法行為とした重要な判決であるという。

次に佐藤はヘイト・スピーチ解消法の制定経過と具体的内容を紹介し、さらに付帯決議にも言及する。

2節では、法的課題検討の前提として、まず人種差別撤廃条約4条とその日本政府の留保を確認する。人種差別撤廃委員会からの留保撤回勧告には言及がない。次に佐藤は、「ヘイトスピーチ」規制の積極論と消極論を取り上げるが、内容は憲法学者の見平典の論文に依拠している。

見平によると、積極論は、第一に被害者が受ける深刻な精神的・身体的害悪、第二に差別構造の強化・再生産、第三に対抗言論の原則や思想の自由市場が機能しないこと、第四にヘイト・スピーチは表現の自由を支える諸価値に寄与しないことを挙げるという。

消極論は、第一に政府による規制濫用のおそれ、第二に萎縮効果、第三に対抗言論と思想の自由市場論、第四にヘイト・スピーチは表現の自由を支える諸価値に寄与しないとはいえない、第五に規制以外の手段が存在する、という。

見平は、積極論と消極論の対立は「それは表現の自由の保障について、あくまで『国家からの自由』として捉えるか、それとも『国家による自由』という局面も認めるかと言う問いを投げかける」という(佐藤106頁より引用)。佐藤も同じ認識であろう。佐藤の中間的結論は「しかし、人種差別撤廃を強調するあまり、不十分な論拠でヘイトスピーチ規制を正当化しているように解されるのである」(106)

さらに、佐藤は、「ヘイトスピーチ」規制積極論への疑問として、松井茂記による積極論批判を肯定的に引用紹介する。そして、松井に対する批判として浦部法穂の見解を紹介し、浦部説を検討する。

その上で、「本稿の立場は、先に引用した松井説のうち第1及び第2の点についてであれば、きわめて限定的な場合においてのみ、刑事規制が可能ではないかというものである」となる(109)

1の点とは、特定される集団に対する違法な暴力の行使の煽動や唆し。

2の点とは、特定されうる集団およびそのメンバーに対する集団的名誉棄損や誹謗中傷、侮辱。

佐藤はこの2つについて「きわめて限定的な場合においてのみ、刑事規制が可能ではないか」という。限定的ではあるが規制を認める「中間説」と言えるかもしれない。

佐藤は次の2点については規制を否定する。

3は、特定されうる集団のメンバーに対する差別の煽動や助長。

4は、特定されうる集団のメンバーに対する憎悪の増進。

佐藤は第2節の最後に、「そもそも、ヘイトスピーチを縮減させる施策としては、本質的に『外国人』差別を解消するとともに、共生を推進するための施策としての、日本語を母語としない人に対する『日本語教育』の推進が必要と考えられるのであり、この点について、若干の検討を行ってきた。」という(109)。註が付され、日本語教育に関する佐藤のこれまでの研究が列挙されている。ただ、この記述は意味がよくわからない。後に検討したい。

Saturday, July 02, 2022

ナチス賛美との闘い――テンダイ・アチウメ報告書03

アチウメ報告者は、市民社会から提供された情報も紹介する。

クリミア再統合協会によると、2014年以来、クリミアでは、民族的クリミア・タタール人などへの人種差別など組織的な人権侵害が起きている。2022224日以来ロシア軍の「特別軍事作戦」により、ウクライナ領への侵略が起きている。軍事侵略を正当化するために、「ウクライナのネオナチ化」という理由が持ち出されている。ウクライナ人に対するヘイト・スピーチが用いられているという。

協会によると、侵略の結果、軍隊も民間人も被害を受けている。民間人の死亡、誘拐、違法拘禁、食糧封鎖。大量の避難民が発生している。栗見・タタール人がタイ領に強制移送されている。

NGOモニターによると、過去10年、ユダヤ人に対する暴力が増加している。2017年6月、スイス連邦議会は、人種主義や煽動に関与したNGOが行うプロジェクトの補助を行わないと決定した。2018年、オランダ外務省の活動計画は、市民社会と協力し、ヘイト・スピーチ、人種主義、反ユダヤ主義を促進する団体に補助金を出さないようにガイドラインを定めた。

南部法律貧困センターによると、2021年、アメリカにおける過激主義事件は733件あり、ヘイト集団や白人ナショナリスト団体が増加している。反動的極右運動と人種主義正義運動につながりが見られる。反黒人主義が白人優越主義を強化している。

2017年のヴァージニアのシャーロットヴィル事件のように裁判事例が注目を集めている。

その他のNGO等からも、欧州におけるネオナチ極右団体の傾向など、情報提供がなされている。ブルガリアのブルガリア国民連盟はデモ行進でカギ十字を用い、準軍事組織を有している。クロアチアにもネオナチが登場し、オーストリアのブライブルクではファシストの欧州最大規模の集会が行われた。202111月、ブライブルクでのネオナチ集会を禁止するように専門家が提言したという。クロアチアのホームランド運動は民族的又は性的マイノリティ、移住者、女性を標的にしている。セルビアでも局運動の潮流がある。反ユダヤ主義のブログをもっていたスルビナ集団は、ネオナチの音楽イベント、ベルグラードでネオナチのフーリガングループを形成し、カリフォルニアで人種主義攻撃を行って逮捕された人物をセルビアに招聘した。

フランスでは、反ユダヤ主義のサイトで知られるインフルエンサーがソーシャルメディアで若者に影響を与えている。極右フェミニスト集団が反移民感情を醸成している。2022年大統領選挙では極右政党の「レコンキスタ」が登場し、ユダヤ人が新型コロナの感染に責任があると主張している。

ハンガリーでは、ジョビク党の弱体化に伴い、極右運動の中核がなくなっていたが、「わが祖国党」が反ユダヤ主義宣伝を行い、極右における地位を高めつつある。

ドイツでは、極右の「第三の道」の活動が目立つ。「欧州行動」「帝国」も過激で反憲法的な運動を行っている。

ポーランドでは、「ロダシー・カムラッチ」「ポーランド国民再生」「ポーランド全国青年」「国民ラディカルキャンプ」の活動が報告されている。

Friday, July 01, 2022

ナチス賛美との闘い――テンダイ・アチウメ報告書02

7 ルクセンブルク

教育子ども青年省は教育によって寛容、意識啓発、非差別を促進している。学校教育における反ユダヤ主義と寛容の問題。ホロコースト記憶の日の学校行事。ユダヤ文化を子どもが理解できるように市民社会との協力。オンラインの安全に関する子どもの教育。第二次大戦におけるナチスのプロパガンダの役割展への子どもたちの無料化。ルクセンブルクはOSCE、国際ホロコースト記憶連盟、欧州理事会に加わっている。

8 モーリシャス

憲法は差別からの保護と宗教の自由を定める。刑法は、宗教的性質の人、行事、財産に対する行為を犯罪化し、憎悪の煽動への関与を犯罪としている。2018年、情報コミュニケーション技術法改正がなされ、ソーシャル・メディアの悪意ある利用に対処している。情報こみぃにケーション技術を通じてなされたヘイト・スピーチ、非人格化、その他のハラスメントによる人種差別の被害から諸個人を保護する。平等機会法、真実正義委員会法、司法の諸規定、人権法の諸規定がある。

2001年に独立放送担当庁が設置され、モーリシャスの文化の多元性を促進している。オンブズマンが差別事件を調査する。

2020年、大陸間奴隷制博物館を開館し、「沈黙を破る」という展示を行った。

9 メキシコ

メキシコは「平等と非差別国家プログラム②021-2024」を制定し、差別防止国家委員会が担当する。ヘイト・スピーチとの闘いは差別防止撤廃連邦法により、差別防止国家委員会に差別申立てを担当させる。差別被害者の救済、損害賠償、公的な懲戒、公的謝罪、再発防止保障が含まれる。

人種主義との闘いのため、客観的指標に基づいて表現の自由を制約する。事前検閲なしにヘイト・スピーチを防止し、制裁する。その表現がなされたらヘイト・スピーチが可罰的となるのか、あるいは被害が生じた場合のみ可罰的なのかを決定する。

情報収集、人権状況の年次評価を行っている。犯罪、被害者、被告人、捜査記録に基づいて評価する。

10 ノルウェー

差別、不寛容、人種主義、排外主義の暴力に対処するため、刑法でヘイト・スピーチと差別を犯罪化し、ヘイト・クライムに反対する国家センターを設置している。ヘイト・クライム対策の国家戦略を開始し、2020年の評価によると、ヘイト・スピーチに対処するためにより明確な定義が必要であると指摘された。

オンライン・ハラスメントに対処するために。表現の自由委員会を設置し、表現の自由の枠組みで社会的技術的法的枠組みを検証している。

警察庁によると、2020年、ヘイト・クライムは744件報告された。もっとも多いのは民族性によるもので、67%が差別と偏見に動機を有していた。イスラム教や性的アイデンティティも動機として重要である。

11 ロシア

大統領命令に従って、2025年までの国内民族政策戦略を設定し、不寛容の煽動を抑止している。政府は、市民が教育機関において自己の言語を使用し、言語の多様性を維持するよう保証する努力をしている。教育言語は35、教科書は21言語が採用されている。スポーツ・イベントにおける人種の障壁が問題となっているので、2022年ワールドカップの文脈でスポーツ・イベントにおける対策をしている。

刑法は、ネオナチ、過激主義、過激主義文書の配布、煽動及びヘイト・クライムの訴追規定を定める。過激主義を認定し、その活動を禁止している。2021年、検察庁は民族的人種的憎悪に動機を有する280件を捜査した。全体で2,300人が過激主義文書の配布等により裁判にかけられた。その多数がインターネットにナチスのシンボルを投稿した事案である。

ネオナチによるインターネット利用は、マスメディア法(法律21244号)で規制する。コミュニケーション・情報技術・マスメディア監視機関が管轄する。ナチス賛美や、祖国防衛戦争(第二次大戦)で亡くなったソ連軍兵士の記憶に対する侵害に対処する。刑法はナチスの復権を犯罪化している。ウェビナーにおけるホロコースト否定の事件も含まれる。諸外国と協力して、ホロコースト否定の捜査を行い、ロシア軍事歴史協会も調査を行っている。

12 サウジアラビア

統治基本法第8条は、人種、皮膚の色、世系又は国民的民族的出身に基づく差別、排除、制限又は優先により、人権と基本的自由の享受や行使を妨げることを禁止する。印刷物出版法は他人の権利を侵害しない限り、表現の自由を定める。オーディオヴィジュアル・メディア法は暴力の煽動を禁止する。労働法は、差別なしに労働する権利を定める。

国内人権委員会の仕事を通じて人種主義と人種差別に対処し、差別の申立てを受理し、人権基準の履行を監視している。過激主義とテロリズムと闘うイデオロギー戦争センター、国民的対話のための王立センター、国立人権協会を設置している。