Wednesday, July 19, 2023

ヘイト・スピーチ研究文献(224)インターネット時代(c)

金尚均編『インターネット時代のヘイトスピーチ問題の法的・社会学的捕捉』(日本評論社、2023年)

第4章 インターネット上の集団に対する差別的言動による人格権侵害

若林三奈には、次の論文がある。

若林三奈「集団に対する差別的言動と不法行為――人間の尊厳と平穏生活権」『法律時報』932号(2021年)。

私の『要綱』93頁で次のようにコメントした。

「へイト・スピーチの民事不法行為に関する解釈を前進させるスタンスであり、賛同できる。「人間として適切に承認されること」について筆者は世界人権宣言第六条の「すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する」に依拠してこれを主張してきた。ところが賛成する研究者はほとんどいない。若林は適切にも「ヘイト・スピーチは、他者を『人間として適切に承認されること』(私法上の権利能力平等原則)を否定する行為」と述べる。」

私は憲法上の人権論に「人として認められる権利」を唱えているが、若林は民法上の権利能力平等原則として「人間として適切に承認されること」を提示する。ニュアンスは異なるが、適切な論述だ。

今回の論文でも若林の議論は一貫している。若林は「人格保護の前提としての完全かつ平等な人格の承認の要請」と題して私人間における差別の否定を明確に打ち出す(129頁以下)。人格権の考察においては、「個人の尊厳」から「個人の人間としての尊厳」へという回路を提示する。日本国憲法には「人間の尊厳」概念が明示されていないとして、人間の尊厳論を否定する憲法学者が少なくない。これに対して若林は「個人の人間としての尊厳」を押し出す。憲法第24条や民法第2条を出発点として、さらに国際人権法(人種差別撤廃条約、国際自由権規約等)を活用する。「一般的かつ包括的な人格権による人間の尊厳の保護」へと論述が展開する(144頁以下)

以上、ごくごく簡単に紹介したが、若林は民法学と判例を丁寧に整理して、このように理論展開しているので、説得的だ。

若林の結論は次のようにまとめられる。

「差別的言辞は、その言葉が向けられた個人の社会における人格の対等平等性(人間の尊厳)を否定する者であって、それにより、その者の生活空間におけるあらゆる私生活上の平穏を脅かし、人格の自由な展開を阻害することから(個人の尊厳の否定)、一般的かつ包括的な人格権(一般的人格権)の侵害と理解しうる。人格の対等平等性を否定することは、私法上の人格秩序に反する者であって、それが向けられた者の社会的排除・排斥をもたらす。」(151頁)

「これらの差別的言辞がたとえ特定の個人にではなく、集団に向けられるものであったとしても、その集団に属する具体的な個人の対等平等性をおしなべて否定するものであるならば、その人格権を侵害するものとなりうる。また現実の損害(具体的な危険や不安の増大による精神的損害の他、予防的行動、意思的制約等による不利益を含む)が生じる場合には、それは不法行為となりうる。」(151)

「それゆえ合理的な理由なく他者の対等平等な人格を否定する不当な差別的言動は、合理的な理由なく差別されないという当然の前提を否定する者であって、人間の尊厳を基礎におく一般的かつ包括的あ人格権の侵害となる。そして、たとえそのような差別的言動が特定の集団や属性に向けられる場合であっても、本質的には、それは、そこに存在する個人の人格の一部を侵害するものと認識されねばならないであろう。」(152)

適確な論述であり、全面的に賛同できる。

若林はこれを私法上の権利として論じており、不法行為訴訟における損害賠償請求権を基礎づけるものとなる。

同じことを刑法上の問題として論じることが出来るかどうかが問題である。個人が被害者であれば個人的法益として理論化できるかどうかであり、それは十分可能だろう。問題は集団が被害者の場合に、いかなる法益論を構築できるかである。個人的法益か、社会的法益かの議論に戻る。それは刑法学の課題だ。

憲法論の関連では、もう一つ、注目すべき点がある。若林は差別されない権利を肯定している。今年628日の全国部落調査出版事件2審判決は、差別されない権利を正面から認めた。差別されない権利を、裁判所がはじめて認めて、救済を図ったとみられる。その際、憲法第13条と第14条を根拠としている。これまで憲法学が積極的に認めてこなかった論理である。ただ、若林によると、従来の判例にも類似の思考が見られたようである。この点は参考になる。

差別されない権利については、

金子匡良「『差別されない権利』の権利性――「全国部落調査」事件をめぐって」『法学セミナー』768(2019年)

前田朗「差別されない権利を求めて――全国部落調査復刻版出版差止訴訟第一審判決」『明日を拓く』132号(2022年)