Friday, July 21, 2023

ヘイト・スピーチ研究文献(224)インターネット時代(d)

金尚均編『インターネット時代のヘイトスピーチ問題の法的・社会学的捕捉』(日本評論社、2023年)

第5章 「全国部落調査」復刻出版差止等請求事件を通して考察する差別表現規制の法理

中井雅人は、「全国部落調査」復刻出版差止訴訟1審段階で本論文を執筆している。本書出版後の本年628日に控訴審判決が出た。中井論文は一審判決を対象としている。

中井は、原告が主張した権利侵害として、プライバシー権、名誉権、差別されない権利、業務遂行権を列挙している。差別されない権利について、憲法第14条を踏まえつつ、裁判所に提出した木村草太意見書の「プライバシー侵害・名誉権侵害の認定とは別に、あるいはそれらが認定しにくい事案でも、差別の対象となる類型に属することの公表・開示や、差別的意図を伴う言動は、差別されない権利に基づき差止を求めたり、その権利の侵害として損害賠償を求めたりすることができると解される」を引用紹介する。

また中井は、「憲法141項は、私人に対する関係でも奴隷的な拘束をされない権利を保障したとされる憲法18条などと同様に、直接適用により違法と評価されるべきである」と、直接適用を主張する。

一審判決が差別されない権利に言及しなかったことにつき、中井は「東京地裁判決は、部落差別そのものを構造的な問題としてとらえることなく、特定個人のプライバシー権の侵害や名誉権の侵害という枠に押し込めた」と評し、「『差別』の問題と正面から向き合うことを回避した」と批判する。

そのうえで、中井は「差別されない権利」によって救済されるべき人々の存在に触れ、部落差別の実態を考慮すれば差別されない権利の必要性が見えて来ると主張する。その際、次の2論文を参照している。

金子匡良「『差別されない権利』の権利性――「全国部落調査」事件をめぐって」『法学セミナー』768(2019年)

梶原健祐「ヘイトスピーチに対する差止め請求に関する一考察」桧垣伸次・奈須祐治編『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社、2021

中井は最後に「学術研究の分野では、・・・『差別されない権利』に関する議論が、日本の反差別闘争の歴史に比して乏しかったのではないか」と反省する。

なお、中井には次の論文がある。

中井雅人「鳥取ループ・示現舎裁判闘争の現状と今後の課題」朝治武他編著『続部落解放論の最前線――水平社一〇〇年をふまえた新たな展望』解放出版社、2021年)

以上2つの中井論文の後、控訴審判決は差別されない権利を認めた。

控訴審判決は「憲法13条は、すべて国民は個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求に対する権利を有することを、憲法141項は、すべて国民は法の下に平等であることをそれぞれ定めており、その趣旨等に鑑みると、人は誰しも、不当な差別を受けることなく、人間としての尊厳を保ちつつ平穏な生活を送ることができる人格的な利益を有するのであって、これは法的に保護された利益であるというべきである」と結論づけた。

全国部落調査出版差止訴訟原告と弁護団が精力的な闘いの成果として、見事な勝訴判決を勝ち取ったと言えよう。

控訴審判決について私は次の2つの論文で言及したが、まだ出版されていない。

前田朗「全国部落調査出版差止控訴審判決評釈――「差別されない権利」の法理」『部落解放』843号(2023年予定)

前田朗「包括的差別禁止法のために(1)――国連実践ガイドの紹介」『Interjurist211号(2023年予定)

なお、私は原告・弁護団や金子論文に学びつつ、差別されない権利の類型論の必要性を唱えてきた。

前田朗「差別されない権利を求めて――全国部落調査復刻版出版差止訴訟第一審判決」『明日を拓く』132号(2022年)

第1に憲法上の差別されない権利、法律上の差別されない権利、国際法上の差別されない権利の区別とそれらの関係を整理すること。

第2に動機又は属性による区別である。人種、皮膚の色、言語、宗教、世系、ジェンダー、セクシュアル・アイデンティティ等に応じた現象形態の分析が求められる。

第3に自由権(市民的政治的権利)と社会権(経済的社会的文化的権利)との関係で、差別されない権利の発現形態を検討することである。現在の国際人権法における議論ではこれらの区分は絶対的なものではなく、まとめて一つの人権観念を形成する方向で議論がなされている。

第4に憲法第14条に言う「政治的経済的又は社会的諸関係」のそれぞれに即して内容を整理することである。人種差別撤廃委員会の日本への勧告が参考になる。

5に直接差別と間接差別の区別である。また差別行為そのものと差別助長行為の区別と関連も分析する必要がある。

6に差別行為の類型としてより具体的に名誉毀損型(侮辱型)、差別的取扱い型、社会的排除型、迫害型といった視点で分類することも必要である。

7に訴訟類型によって概念や要件に差異が生じることがあるかどうか。仮処分における差別されない権利の要件と、本案訴訟(不法行為訴訟・損害賠償)における差別されない権利の要件は同一なのか異なるのか。

8に制度的差別、社会的差別と、個人による差別行為の区別と連関である。人種差別撤廃条約第二条は民間・私人による差別を止めさせる国家の義務を定める。民間・私人による差別を止めさせる法律や政策を持たない国家は、被害発生を放置・容認した責任をどのように取るべきなのか。国が差別しない義務(不作為義務)と、私人による差別を是正する義務(作為義務)の両者が問われる。