Thursday, October 03, 2013

パテク・フィリップ博物館散歩

時計会社パテク・フィリップの時計博物館は、ジュネーヴ市内、プランパレ公園やジュネーヴ大学の近くにある。15世紀のドイツはニュルンベルクやアウグスブルクでつくられたものから現代までの時計が陳列されている。ポケット時計(懐中時計)、腕時計、ペンダント時計、柱時計、置時計。いつに多彩な装飾時計の数々が並ぶ。金、銀、メノウ、貝など各種の装飾が見事だ。肖像画、キリスト教にちなんだ図柄も目立つ。古いものは一般販売ではなく、王侯貴族からの注文品だろう。ロシアの歴史やポーランドの歴史を描いたシリーズものもある。時計も精巧だが、図柄もさまざまに工夫を施してあり、精密だ。金、銀、真珠、宝石類をちりばめた見事な装飾品だ。時計が壊れて止まっても、装飾だけで意味がある。時計や時間の研究に関する書籍も多数陳列されている。また、時計づくり工房の様子を、当時使った専用机、工具、写真で展示している。今や電子時計の時代だが、逆に希少価値があって、一層素敵な装飾が求められる。一番気になったのはルソーの系譜だ。16~17世紀ジュネーヴの時計の歴史にルソーの名が刻まれている。1549年にジュネーヴにやってきたディディエ・ルソーの孫ジャン・ルソーは時計職人だった。その息子がダヴィド・ルソーで、孫がイザク・ルソー、ともに時計職人だ。3代続いた時計職人の家に1712年に生まれたのが、ジャン・ジャック・ルソー。職人としてはできそこないで口先ばかり達者だったジャン・ジャックは、パリに出て『人間不平等起源論』『社会契約論』の著者になる。著作ではいつも「ジュネーヴ市民」と名乗っていたが、啓蒙の旗手ルソーは一時、時の人として故郷に凱旋するも、やがて権力に追われる身となり、故郷では出版禁止の憂き目にあう。最後は「ジュネーヴ市民」と名乗るのを止めることになった。今、ルソーの生家はジュネーヴ旧市街に残され、観光客が訪れる。パテク・フィリップ博物館ではジャン・ジャックのことは名前しか出てこないが。