大江健三郎『日常生活の冒険』(文藝春秋、1964年)
50年代末から60年代初頭、大江は60年安保闘争に加わり、若者を「代表」する形で膨大なエッセイなどを公表していた。63年には長男・光が誕生。小説については独自の方法論を模索する苦闘の時期でもあったが、ようやく整理がついて上昇機運になった小説が本作と言えるだろう。そうした経緯を知らずに、私は大学時代に母校の図書館で本書を手にしたが、「大江最後の青春小説」は私にとってはさして感銘を与えなかった。
冒頭で、語り手のぼくの年少の友、斎木犀吉が北アフリカの地方都市ブージーで自殺したことが提示され、その後の全篇にわたって、奇妙で愉快で混乱した斎木犀吉、その最初の妻・卑弥呼、ボクサーの金泰、そして雉子彦、暁、鷹子たちの乱痴気騒ぎの人生が描かれる。当時、「怒れる若者」に数えられようとし、それを拒否していた大江だが、ここでは怒り、諦め、悩み、挑戦し、逃げ出し、笑い、喋り散らし、酩酊し、セックスに励む若者を描いている。それまでの青春小説に区切りをつけるかの如く。日常生活そのものが冒険であるような青春を疾駆する彼らは、しかし、怠惰でもあり懶惰でもあり、大学生の私には全く感情移入できない異空間の青年たちだった。1974年の首都で、人並みに勉強し、人並みに遊んでいた大学生にとって、違和感ばかりが際立つ作品だったのは、『個人的な体験』を先に読んだためもあったかもしれない。