樋口直人『日本型排外主義』(名古屋大学出版会、2014年)
樋口は、「第三章 活動家の政治的社会科とイデオロギー形成」「第四章 排外主義運動への誘引」「第五章 インターネットと資源動員」で、取材データに基づいた分析を提示したうえで、「ミクロ動因から政治的機械構造へ」として、「問題の全体像」を読み解こうとする。「政治との関連で排外主義運動の発生と展開を分析する」課題である。
樋口は、政治的機械構造という考え方を紹介する。アクセスの増大、政治的編成の変動、エリートの分裂、影響力のある同盟者、という4つの次元があると言う。日本の排外主義については「制度的でハードな政治的機会構造」は閉鎖的であり、影響が大きいとは言えず、むしろ、文化的でソフトな面に着目する。そこで用いられるのは「言説の機会構造」という概念である。
言説の機会構造とは、フレーミングと政治的機会構造の統合を企図したもので、「制度的に固定した思考様式であり、それにより特定のまとまった考えが政治的に相対的に受容される傾向が生まれる」という。そして、言説の機会構造が変化していないか、変化したとしたらそれが排外主義運動に影響を与えたかを問う。90年代後半からの歴史問題や、2000年代に東アジア諸国を敵手とみなす議論など、右派論壇の変化が大きな要因となる。もっとも、それだけでは「在日特権」と右派論壇の関係すべてを説明できるわけではないため、さらにサブカルチャーに目を向ける。ネットカルチャーと排外主義運動の関連であり、インターネットという言説の機会構造を探査する必要がある。
結論として、「排外主義に至るほとんどの要素は、右派論壇の言説の機会構造が開かれた時に用意されており、そこに技術的条件の変化という媒介が加わったに過ぎない。その両方の条件が揃ったのが2000年代後半なのであり、排外主義運動の発生はこの二つの要素によって説明可能である。また、排外主義運動の抗議イベントをみる限り、言説の機会構造に対してかなりの程度忠実に反応しており、政治とのかかわりを否定するのは難しい。その意味で、排外主義運動が『保守』を自認するのは誤りとは言えず、排外主義運動の奇矯さは『保守』の変容との関連で分析する必要がある。」という。