五 ヘイト団体の認定は可能か
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奈須祐治は「従来の判例で考えると、自治体が排外主義団体に特定して施設を貸さないというのは難しいのではないか」と述べている。ここでは特定団体への拒否が許されないということと同時に、ヘイト団体の特定、認定が困難であることも含意されているようである。確かに、差別禁止法やヘイト・スピーチ法のない日本で、ある団体を差別団体、ヘイト団体と認定することに一定の困難を伴うことは否定できない。
山形県生涯学習センター条例には「知事は、センターの使用の目的、方法等が次の各号のいずれかに該当するときは、許可をしてはならない。(1)公益を害するおそれがあるとき。(2)センターの管理上適当でないと認めるとき。(3)その他センターの設置の目的に反すると認めるとき」という定めがあるだけで、判断が難しいのも確かである。センター設置目的は「県民の生涯にわたる学習活動を総合的に支援し、地域の活性化を担う人材の育成及び県民の文化の振興を図るため」(第一条)とされているが、差別について直接の判断基準が示されているとは言えない。
他方、門真市人権尊重のまちづくり条例は「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等であり、個人として尊重され、基本的人権の享有が保障されなければならない。これは、人類普遍の原理であり、世界人権宣言及び日本国憲法の理念とするところであり、かつ、私たちがともに守り、伸張させていかなければならないものである」、「一方、今日でもなお、人種、民族、信条、性別、社会的身分又は障害があることなどにより人権が侵害されている現実があり、また社会情勢の変化等により、人権に関する新たな課題も生じてきている。二一世紀を真に平和で豊かな『人権の世紀』とするためにも、私たち一人ひとりが人間の尊厳を尊重し、すべての人の人権が保障されるまちづくりを実現することが、今まさに求められている」としたうえで、「市は、前条の目的を達成するため、市民の自主性を尊重し、人権意識の高揚を図るための施策及び人権擁護に資する施策を積極的に推進するものとする」(第二条)、「市民は、互いに人権を尊重し、自ら人権意識の向上に努めるとともに、市が実施する人権に関する施策に協力するよう努めるものとする」(第三条)と、人権への姿勢を明快に示している。差別団体やヘイト団体の定義はないが、条例に違反する事態を判断することが十分可能な条例である。
とはいえ、日本国憲法第一三条や第一四条に、人格権を侵害する団体や平等を損なう団体を判定する基準が明示されているわけではない。憲法以外の法律にも、ヘイト団体を認定するための定義や基準が示されていない。
だからと言って、ヘイト団体の認定ができないわけではない。差別団体やヘイト団体の「外延」が明確に線引きされていない場合であっても、その「内包」を明確に把握できれば、法律の基準として採用することは可能である。つまり、全ての団体について全ての場合に判断できる基準(外延)がない場合でも、「誰が見てもこの団体は差別団体である」、「どのような定義(外延)を採用しても、この団体はヘイト団体に当たる」と言える場合があるからである。
本件で問題となっている在特会は、これまでに京都鮮学校襲撃事件の刑事訴訟で有罪判決が確定している上、民事訴訟では多額の損害賠償を言い渡されている(京都地方裁判所判決・未確定)。さらに水平社博物館事件民事訴訟でも損害賠償を命じられている(確定)。ロート製薬強要事件でも刑事訴訟で複数の有罪判決が確定している。
金尚均が「京都朝鮮第一初中級学校事件の京都地裁判決で『人種差別に該当し、違法』と指摘された在特会のような集団に限った事前規制は可能ではないか」と述べているのは正当である。金尚均が指摘しているように、人種差別撤廃条約に基づいた解釈が不可欠である。条約には人種差別の定義(第一条)があり、ヘイト・スピーチの定義(第四条a)、及びヘイト団体の定義(第四条b)がある。日本政府は第四条abを留保しているが、条約第一条の人種差別の定義、第二条の人種差別の否定、第四条本文及びcを留保していないのだから、禁止された人種差別についての判断基準を持っているのであって、判断できないと解釈するべきではない。
少なくとも、第一に、ヘイト・スピーチを繰り返してきたことが著名な団体又は個人、特に有罪判決や損害賠償判決が確定した団体又は個人であって、第二に、当該集会がヘイト集会となる恐れが高い場合、ヘイト・スピーチを繰り返す恐れが高いことが明白な場合には、公共施設の利用を拒否するべきである。