黒古一夫『文学者の「核・フクシマ論」』(彩流社、2013年)
吉本隆明・大江健三郎・村上春樹という3人の文学者が、核(原爆原発)問題についてどのように発言し、行動したのかを問う著作である。フクシマの悲劇にもかかわらず、原発再稼働や輸出を進める「原子力ムラ」の「無責任」と、それを支えてしまっている「風化」に危惧を感じる著者は、ヒロシマ・ナガサキやフクシマを風化させないために、文学者の反核声明や、脱原発行動をとらえ返して、現在の課題を確認しようとする。
かつて「反核」異論と称して文学者の反核声明に水を浴びせた吉本隆明は、フクシマ後に「反原発」異論の立場から、原発容認の姿勢を打ち出した。これを著者は「反・反核」思想として取り上げて、厳しく批判する。吉本の「近代主義者=進歩主義者」への転落、「体制化」の結末を一つひとつ引用し、「半科学」的知識と「時流評論家」の悲劇をえぐる。
同世代には吉本教信者が多いが、私は吉本にはかぶれなかったので、著者の批判が良く理解できる。
次いで著者は大江健三郎の半世紀に及ぶ反核と、当初は原発を容認したことがあったものの、後に脱原発に転じて、運動の先頭に立つようになった経緯を振り返る。核問題を現代文学の課題としてつねに正面から向き合ってきた大江文学がフクシマにいかに対処したかを、集会スピーチや『定義集』の文章に探る。『アトミック・エイジの守護神』(1964年)、『ピンチランナ調書』(1976年)、『新しい人よ眼ざめよ』(1983年)、『治療塔』(1990年)、『治療塔惑星』(1991年)、『宙返り』(1999年)という流れが確認されるが、その分析まではなされていない。
大江の核時代の想像力を巡る思索はあまりにも有名だし、何度も読んできたが、大江文学全体の流れに位置づけて、その系譜を明らかにする作業、脱原発も含めた軌跡を明らかにする作業が必要である。
最後に著者は村上春樹を取り上げる。村上はカタルーニャ国際賞受賞記念講演で「我々日本人は核に対するノーを叫び続けるべきであった」と述べた。著者・黒古は「いかにも『もっともらしい』言辞で飾られている文章だが、右の引用を目にして驚かされたのは、どのように戦後史を学習すれば・・・『我々日本人は核に対するノーを叫び続けるべきであった』などという言葉が出てくるのか、ということであった」と批判する。平和と民主主義を軸とする戦後民主主義教育から言っても、ヒロシマ・ナガサキを基天とする反核運動から言っても、村上の言葉は驚くべきものだからである。著者は村上文学における核問題への言及の過程を追跡し、かつては「社会的無関心」だった村上が「コミットメント」に転換したにもかかわらず、そして反核運動や脱原発運動の歴史を知っているはずにもかかわらず、あたかもそれらがなかったかのように述べる村上を批判している。「村上春樹の『反核スピーチ』が、あまりにこの国の反核運動や原爆文学に対して『無知』をさらけ出すものであり、そのことを逆にいえば、ヒロシマ・ナガサキ以来、誠実に核=核兵器・原発反対運動に取り組んできた人たちへの『冒涜』を意味していたのではないか」と。
著者は文芸評論家、筑波大学名誉教授、著書に『大江健三郎論』『林京子論』『「1Q84」批判と現代作家論』、編著書に『日本の原爆文学・全15巻』『日本の原爆記録・全20巻』などがある。