清原悠「歴史修正主義の台頭と排外主義の連接」山崎望編『奇妙なナショナリズムの時代』
清原は「在日特権」を糾弾するヘイトスピーチは<マジョリティ=強者=日本人/マイノリティ=弱者=在日朝鮮人>を攪乱・無効化する言説実践であったとし、歴史的文脈が無視されていることに着目する。
清原は、歴史否認論(歴史修正主義)と排外主義の関係を問いつつ、歴史修正主義の台頭/流布に果たしたメディアの役割を、歴史認識問題の「発見」とバックラッシュ(1960年代後半から90年代前半)、それ以前、ベトナム戦争を経由したアジアへの加害責任の意識化を確認して、メスメディアにおける「歴史認識」言説の量的経年変化を研究する。読売新聞と朝日新聞のデータベースをもとに、歴史認識をめぐる記事が1995年(戦後50年、村山談話)、1998年(日韓共同宣言)、2001年(小泉靖国参拝)、2005~06年(戦後60年)、2013~14年にどのように増加したかを見る。
そして、読売新聞における「歴史認識」言説の特徴・変遷をたどる。その中から<歴史認識論=反日>というレトリックの登場、排外主義が国内に向けられた経緯(慰安婦問題に関する報道がどのようにして歪んできたか)、竹島問題による歴史認識と領土との接合、について論じる。結論として、「歴史認識問題は領土問題や外国人参政権問題と連接する問題として捉えられることで、セキュリティの対象として認識されるようになってきたことを明らかにした。すでに樋口直人による『日本型排外主義』において提起されたように、「日本、韓国と北朝鮮、在日コリアンという三者関係」という捉え方による問題の整理と同じものである」とされる。
また、清原は「歴史否認論および排外主義に関するこれまでのメディア研究では、『正論』『諸君!』などの右派論壇誌の希少な研究例を除けば、主に<マスメディアvsネット言論>という議論枠組みを立ててきた。だが、本章では読売新聞を素材に分析をすることでマスメディアとネット言論の親和性(もしくは密かな共犯関係)を、間接的にではあるものの分析の俎上に載せた」という。慰安婦問題における朝日新聞攻撃のように、マスメディア間の抗争と言う一面があるからである。
清原論文も優れた論文であり、大いに学ぶべき点があるが、気になる点がないわけではない。本書の他の論文と同様、清原論文も、ヘイト・スピーチ現象を、2007年の在特会設立以後のこととしたうえで、そこに至る歴史否認的言辞の展開を追跡する形となっている。その背景となる歴史への視線を垣間見ることはできるが、付随的な印象を与える。歴史認識問題、領土問題、外国人参政権に関連する言説の分析は魅力的だが、歴史的文脈の重要性を指摘しながら、歴史的文脈の分析はなされない。近現代日本史におけるヘイト・クライム/ヘイト・スピーチへの視線が希薄となっている。