富永京子「社会運動の変容と新たな『戦略』――カウンター運動の可能性」山崎望編『奇妙なナショナリズムの時代』
富永は、ヘイト・スピーチに対するカウンター運動を社会運動論として把握し、分析する。そのために戦後の日本の社会運動の文脈を確認し、社会運動論の先行研究をトレースする。富永は資源動員論から「新しい社会運動」研究による「経験運動」概念に着目する。分析対象として、社会運動の設営過程である「バックステージ」とする。「カウンター運動が共有する特質として、運動の『切迫性』があり、また、敵の目標・目的を阻害するために限られた時間と場所の中で行動しなくてはならないという性格があるためだ」という。もう一つの分析枠組みとして、「運動に共在する個人の葛藤と和解」を掲げる。調査研究プロジェクト「反レイシズム運動研究」(明戸隆浩ほか、2013~14年)によるインタビューデータを用いている。分析は富永自身の手による。
その上で、富永は「路上で経験を共有する――問題と自分を接続させる媒介としての『戦略』『戦術』」、「学習会・ツイッター・飲み会――拡散する経験共有の場」の2つを呈示する。
「現代の社会運動は担い手の個人化・流動化により、統一された集合的アイデンティティを担保することが難しくなっている。そのため、それぞれ異なる出自を持つ担い手たちは、運動を進める過程でコミュニケーションし、互いの問題認識やバックグラウンドといった『経験』を共有する。その経験を共有する媒介は、会議や学習会といったものだけではなく、ツイッターでの政治的議論や、動画でヘイトスピーチが行われている風景を観た人々のコミュニケーションなども含まれている。さらに言えば、路上を彩る、プラカードや横断幕といったさまざまな対抗手段もまた、彼らの生きる日常に存在し、彼らの体験や生き方によって形成される『文化』を反映すると言う点で、経験共有に一役買っているのだ。」
新しい社会運動論の枠組みを用いて、レイシズム、ヘイト・スピーチに対するカウンター行動を具体的に分析する方法は魅力的であり、有益である。もっとも、気になる点もないわけではない。新しい社会運動研究の対象は環境運動、女性運動、先住民運動、マイノリティをめぐる運動だと言う。研究対象は、中絶、市民権改正、同性愛者の権利、動物の権利、銃規制、喫煙、麻薬の使用、人種差別、レイシズム、ポルノ規制等と言う。海外の先行研究に学ぶのは、それなりに理解できる。日本では、労働運動、及び「くびくびカフェ」「スユ・ノモ」の社会運動研究があると言う。それもわかる。ところで、在日朝鮮人の人権擁護を求めるさまざまな運動と研究が除外されるのはなぜだろうか。それこそが真っ先に比較検討の対象ではないのだろうか。「広義の『反差別運動』」への言及が2~3行あるが、その内容に立ち入らないのはなぜだろうか。インタビューの対象には加えているようだが。
得られた結論について見ると、「それぞれ異なる出自を持つ担い手たちは、運動を進める過程でコミュニケーションし、互いの問題認識やバックグラウンドといった『経験』を共有する」のは、新しい社会運動に特有の現象だろうか。古い社会運動にも共通性はないだろうか。学習会や飲み会と言うのも古典的ではないだろうか。ツイッターは新しいが、それが新しい社会運動の特徴なのだろうか。社会運動であろうと、運動以外の交流であろうと、現在ツイッターが登場するのは一般的に言えることではないだろうか。プラカードや横断幕に至っては一寸言葉を失うのだが、その「新しい社会運動」性を富永はどのように見ているのだろうか。富永の「新しい社会運動」と在特会は、どこがどう違うのだろうか。