桧垣伸次『ヘイト・スピーチ規制の憲法学的考察――表現の自由のジレンマ』(法律文化社、2017年)
<ヘイト・スピーチ規制をめぐる憲法上の議論を根源的に考察。アメリカにおける判例・理論をヘイト・クライム規制も含めその展開を概観するとともに、「批判的人種理論」や「表現の自由の原理論」の近年の動向を検討し、日本への示唆を与える。>
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第1章 ヘイト・スピーチ規制論における批判的人種理論
第2章 ヘイト・クライム規制をめぐる憲法上の諸問題
第3章 批判的人種理論(Critical Race Theory)の含意
第4章 連邦最高裁と表現の自由―アメリカの「特殊性」
第5章 ヘイト・スピーチ規制論と表現の自由の原理論
終 章 日本の現状と課題
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著者は1982年生まれ、憲法学専攻、福岡大学法学部准教授。共著・分担執筆書が多数あるが、単著は本書が初めてのようだ。
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待望の書である。憲法学者による研究書で、「表現の自由を最大限保障するという立場を維持しつつもヘイト・スピーチ規制は憲法上正当化されると主張する」(はじめに)と明言しているからである。これまでも憲法学者でヘイト・スピーチ規制が可能(または必要)という主張は、奈須祐治、遠藤比呂通をはじめ、いくつもの論文で公にされてきた。しかし、本格的な研究書は初めてであろう。古くは内野正幸の著作が積極派の代表であったが、その後、内野は説を改めて消極派になった(もっとも本人は後に「中間派」と自称している)。表現の自由を研究テーマとする憲法学者の多くは規制に消極的である。消極派の中には、規制は憲法21条に抵触するという立場の論者と、規制は憲法21条に抵触しない場合もありうるが政策的に必要ないという立場がある。桧垣は規制は憲法上正当化され、必要な場合があるという立場である。
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上記に引用した「はじめに」の一段落を引用しよう。
「本書は、アメリカにおける近年のヘイト・スピーチ規制をめぐる議論を参照し、日本へ与えうる示唆を検討する。そこでは、表現の自由を最大限保障するという立場を維持しつつもヘイト・スピーチ規制は憲法上正当化されると主張する。表現の自由は、民主主義社会において、非常に重要な権利である。表現――特に政治的表現――はできる限り自由でなければならなのは言うまでもない。しかしながら、後で述べるように、ヘイト・スピーチは、その対象となった集団を、同等の市民として認めず、公的意見の構築から排除しようとするものである。特定の集団の意見が排除されるならば、民主的過程は機能不全に陥る可能性がある。なぜならば、民主主義社会が機能するためには、多様な意見が必要なのであり、そこから特定の集団を排除するならば、『知識や情報の不完全さが増幅・維持され、望ましくない状況に陥ってしまう』危険性もある。このような観点からも、特定の集団が公的意見ンお構築から排除されないようにしなければならない。」
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ヘイト・スピーチが民主主義を損なうことは、かねてより刑法学者の金尚均が主張し、私も賛同してきた見解である。桧垣もその論文でこの主張を唱えてきており、本書にまとめた。
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桧垣は、「はじめに」の註8で、「このように、矛盾するようではあるが、表現の自由のため――思想の自由市場が機能するため――に、『ヘイト・スピーチ』という表現を規制する必要がある。」という。卓見である。
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次の一文は私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』の「はしがき」冒頭の一段落である。
「表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを刑事規制する。それが日本国憲法の基本精神に従った正当な解釈である。国際人権法もヘイト・スピーチ規制を要請している。ヘイト・スピーチ処罰は国際社会の常識である――本書は以上の結論の前提となる基礎情報を紹介することを主要な課題とする。」
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「表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを刑事規制する。」(前田)
「表現の自由のため――思想の自由市場が機能するため――に、『ヘイト・スピーチ』という表現を規制する必要がある。」(桧垣)
基本的な考え方が同じであることがわかる。
ただし、私は思想の自由市場論を採用しない。桧垣は思想の自由市場論を前提とする。この差異がどのような意味を持つかはまだわからない。(*追記--桧垣はホームズ流の思想の自由市場論には批判的なようである)
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本書の魅力はもう一つ、桧垣が比較研究の対象としたのがアメリカ法という点だ。アメリカ憲法判例は、ヘイト・スピーチ規制を否定する論拠として紹介・研究されてきた。表現の自由研究の圧倒的多数がアメリカ法の変遷を追跡してきた。その結果として、アメリカ的な法理を採用すればヘイト・スピーチの規制は非常に困難とされてきた。これに対して、桧垣はアメリカ法の中からその限界を乗り越える論理を発掘しようとする。
私は、日本国憲法21条とヘイト・スピーチ規制について検討する際にアメリカ法を参照する理由がないと主張してきたが、桧垣は逆にアメリカ法に手掛かりを求めながらヘイト・スピーチ規制の可能性を追求する。