Wednesday, May 17, 2017

日本国憲法のレイシズムを問うために

鄭栄桓「在日朝鮮人の『国籍』と朝鮮戦争(1447-1952年)――『朝鮮籍』はいかにして生まれたか」『PRIME』40号(2017年)
かつての外国人登録、現在の外国籍の在日朝鮮人の在留カード及び特別永住者証明書には「朝鮮」「韓国」の2つの表示が用いられている。1947年には「朝鮮」のみであったのに、その後、「韓国」が導入され、ともに地域を表示するものであった。ところが、「韓国」はいまでは大韓民国籍を表示しているのに、「朝鮮」は地域等の表示であって、朝鮮民主主義人民共和国を表示するものではない。にもかかわらず、「朝鮮」を朝鮮民主主義人民共和国と結び付けて、政治的に差別がなされていることは周知のことである。
これは朝鮮半島の分断という歴史的理由が背景となっているものの、朝鮮植民地支配の責任に頬かむりし、それどころか植民地支配の帰結としてつくり出された在日朝鮮人に対する責任も無視し、逆に差別してきた日本政府の政策に由来する。日本政府の差別政策は見事に一貫しているが、具体的な差別方法が一貫していたわけではなく、時期により変遷が見られる。
このテーマには、飛田雄一、大沼保昭、田中宏ら多数の先行研究があるが、著者は1947~52年――1947年は外国人登録命令によって「便宜の措置」として「朝鮮」が採用された年であり、1952年はサンフランスシスコ講和条約発効に伴い朝鮮人の日本国籍が「喪失」したとされた年――の日本政府の施策の変遷を詳細に検討する。
よく知られる通り、外国人登録令は1947年5月3日の日本国憲法施行の前日である5月2日に出された。「国民主権」を定めたはずの憲法施行直前に、天皇の命令によって「国民」の一部を「国民」から除外した。一夜にして100万単位の人間の国籍が剥奪されるという人類史上他に例のない暴挙である。こうして「日本国民」が形成される一方、外国人とされた朝鮮人の処遇はその後、数年間の政策を通じて変遷し、現在に至る。
憲法論的に言えば、憲法制定権力論、国民主権論に直接かかわる問題であるにもかかわらず、憲法学はこれらの歴史を無視ないし軽視してきたといってよい。憲法制定時の「国民(臣民)」に属するとされていた人々が、完成した憲法施行の前日に一方的に「国民」から除外された事実は、日本国憲法の正統性そのものに疑念を抱かせるはずだ。
この事実は、私の関心事としては「日本国憲法のレイシズム」というテーマに属する。あの戦争への反省、国際協調主義、平和主義を基調とし、法の下の平等と差別の禁止を掲げているにもかかわらず、日本国憲法は幾多の差別を容認してきた。むしろ、日本国憲法がレイシズムの根拠にさえなりかねない逆説的な歴史が続いた。そのことを自覚しないがゆえに、憲法学は外国人差別に加担・助長してきたと言ってよいだろう。このテーマで短い論文を書くつもりでいたのだが、ちょうどよい時期に、鄭栄桓論文に出会えた。夏までには「日本国憲法のレイシズム」を問う文章を書きたいものだ。