Wednesday, May 03, 2017

桧垣伸次『ヘイト・スピーチ規制の憲法学的考察』を読む(4)

桧垣伸次『ヘイト・スピーチ規制の憲法学的考察――表現の自由のジレンマ』(法律文化社、2017年)
第3章批判的人種理論の含意
桧垣は、アメリカにおけるヘイト・スピーチ法をめぐる議論に一定の影響を与え始めた批判的人種理論について、その2001年以降の動きを紹介する。批判的人種理論は1990年代に日本にもかなり紹介されたが、ヘイト・スピーチとの関係で部分的に紹介されたにとどまる。批判的人種理論の包括的な紹介はなく、最近の動きを射程に入れていない。桧垣は次のように述べる。
「批判的人種理論が、従来の個人観・国家観を『根本から』変革させようとするものであり、ヘイト・スピーチ規制論においても、『表現の自由理論そのものの問い直しを要求する』ものである点に留意しなければ、批判的人種理論が主張するヘイト・スピーチ規制論の本質を捉えることはできない。」
批判的人種理論の理論的起源は、公民権運動、批判的法学研究、フェミニズムが挙げられる。公民権運動への期待と失望、批判的法学研究への不満等の帰結として批判的人種理論が形成されたが、その発展過程で分岐も生じた。様々な分岐はあるものの、リベラリズム批判、ナラティブの手法、「差別的意図の要求」批判、批判的白人研究といった問題意識を共有してきた。
2001年以降、批判的人種理論は、ローレンスやデルガドらの間で、観念主義的アプローチか物質主義的アプローチかをめぐり論争がなされ、両者の接合の可能性が模索された。
さらに「新しい潮流」として「批判的人種リアリズム」も登場した。リアリズム法学をも内に取り入れて、「無意識のレイシズムや制度的レイシズムを理解しようとする点や、差別分析の焦点を、行為者の意図から、『犠牲者の階層』の物質的、イデオロギー的状況に転換する点などが挙げられる。」
最後に桧垣はレヴィンを引用しつつ次のように述べる。
「このような、レイシズムの本質に関する批判的人種理論の洞察は、特殊アメリカ的なものではなく、Levinが主張するように、日本においても応用可能である。Levinは、『日本でしばしばみられる、国際法やいわゆる「外圧」にたよった改革のメカニズムを説明するのに利益合致原理は適合的である』、あるいは、Freemanの主張する『人種的恒常性原理――支配的人種マジョリティはマイノリティからの圧力をガス抜きするのに必要な限りで改革を進めるにすぎないとするもの――』は、『改革の唱導者たちに対して課題を突きつけ警告する』と指摘する。/このように、批判的人種理論は普遍的なものであり、批判的人種理論の主張を真剣に検討し、レイシズムの観念主義的側面、物質主義的側面に着目しなければ、レイシズムの本質を見誤ってしまうことになるだろう。レイシズムの本質、そしてヘイト・スピーチの害悪を理解するにあたり、批判的人種理論の果たす役割は大きい。」

<コメント>
桧垣の主張は説得的であり、批判的人種理論の主張を踏まえて検討することによって日本におけるヘイト・スピーチ議論の様相にも大きな影響をもたらすことができる。アメリカにおいても批判的人種理論の影響には限界があり、日本でも同様かもしれないが、批判的人種理論が突きつけた課題を抜きに議論を進めることはできないだろう。
私は、批判的人種理論についての知識をそれなりに有していたし、多少は影響を受けてきたかもしれないが、批判的人種理論に依拠して考えてきたわけではない。むしろ、私は「日本国憲法を正しく理解すればヘイト・スピーチを規制するのは当たり前のことである」という出発点に立っている。日本国憲法の個人観・国家観を問い直すまでもなく、憲法に従って、表現の自由を保障するためにヘイト・スピーチを規制するのである。この意味で、桧垣と私とでは思考回路が異なるが、桧垣の主張に学ぶべき点は非常に多い。さらに勉強したい。