鄭栄桓「解放直後の在日朝鮮人運動と『戦争責任』論(1945-1949)――戦犯裁判と『親日派』処罰をめぐって」『日本植民地研究』28号(2016年)
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『朝鮮独立への隘路』や『忘却のための「和解」』の著者にして、『平和なき「平和主義」』の翻訳者として、在日朝鮮人歴史学/日本歴史学/現代思想の先頭を駆ける著者の地道な歴史研究である。
日本歴史学では、敗戦後の数年間、とりわけ東京裁判期の日本思想の問題として、戦争責任論はあったにしても、植民地責任論がなかったことが知られる。東京裁判における「アジアの不在」や朝鮮植民地支配論の欠落である。これに対して、著者は、解放直後の在日朝鮮人運動に目を向け、そこでは戦争責任、植民地責任論が独自の展開を遂げていたことを提示する。それが、現在の「植民地責任論」といかなる関係にあるのかを問うためにも、当時の議論の状況を提示する必要がある。
著者によると、多様な論点があるが、第1の特徴は、日本の「戦争責任」を追及する論理と重なり合う形で「親日派」批判があったことである。具体的には、一心会に協力した人物が、解放後に朝連創立に関わり幹部となっていたことへの批判が早くに出ていたことが紹介される。韓国における「親日派」追求と並行しつつ、在日朝鮮人世界では独自の追及の議論が存在した。それが当時に日本共産党の議論といかなる関係にあったのかも問われる。
第2に、実際に東京裁判が開廷した時期における在日朝鮮人の論説である。ここでは、世界的な戦争犯罪追及の論理を踏まえながら、日本の戦争犯罪を糾弾しつつ、加えて「親日派」へも厳しく対処する思考が確認できる。朝連と他の民族団体とでは関心の向け方が異なり、やがて対立を孕んでいくことになる。東京裁判判決後は、判決への論評において、南次郎や小磯国昭の量刑の軽さへの批判、天皇不訴追問題、日本国民の責任論などがすでに登記されていた。
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著者は次のようにまとめる。
「以上の分析から指摘できることは、当時の『戦争責任』認識にある『植民地責任』論への深化・発展の可能性である。当初から朝鮮人活動家たちは『戦争犯罪人』追放の一環として『親日派』問題を扱う視点を示したが、当時の論調からは東京裁判が設定した『戦争責任』の範疇をいかに植民地支配へと関連付けるかに苦心する様が見て取れる。東京裁判に際しては植民地化を朝鮮『侵略』を犯した『平和に対する罪』と位置付けて判決に異論を示した。また、在日朝鮮人メディアは戦時下における『皇民化』政策を『人道に対する罪』として裁く視点を示した。これらの論調は、同時代の日本人の戦争責任論には全く見られない者である。連合国もまた不問に付した『朝鮮の平和』『朝鮮の人道』を犯す行為に対する重要な異議申し立てと言えよう。韓国における反民特委の活動も、こうした認識の延長上にその意義を認めていたのである。」
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著者は「残された課題」として「世界史的な『植民地責任』論」へとつなげることを掲げている。
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これまでの東京裁判論や戦争責任/植民地責任論の空白を埋め、議論の射程を広く深く及ぼす論文だ。論文の位置や意義は著者自身が整理している通りであろう。とても勉強になるし、次の論文にも期待したい。
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歴史学から離れて、法学的観点から若干の感想を記しておこう。
第1に、戦争責任/植民地責任論と、20世紀初頭に世界的に論究された民族自決権との関係をどのように見るかである。当然、直接的な不可分の関係にあるのだが、植民地時代や解放直後の在日朝鮮人が民族自決権をどのように受け止め、そこから日本による戦争責任/植民地責任をいかに組み立てたのか。
併せて言及しておけば、アイヌモシリや琉球王国に対する植民地支配も同じ文脈で検討されなければならない。
第2に、「世界史的」な議論という点では、第一次大戦後のイスタンブール裁判における人道と文明に対する犯罪の構想がいまだに無視されていることをどう見るかである。私は二次文献に基づいてイスタンブール裁判を紹介してきたが、それ以上の調査・研究はできていない。他の論者はいずれもイスタンブール裁判を無視してきた。
第3に、著者も注目している植民地責任論と平和に対する罪、人道に対する罪の関係である。この点は、国際刑事裁判所規程の制定過程(とりわけ国連国際法委員会の議論)の研究や、ダーバン人種差別反対世界会議における議論ともつながる。
第4に、以上のこととも関連するが、「植民地責任」論と「植民地犯罪」論の関係である。犯罪論ぬきの責任論については、戦争犯罪論ぬきの戦争責任論の限界を私は指摘してきた。戦争犯罪論、犯罪論を踏まえた戦争責任論、及び犯罪ではない場合も含めた戦争責任論の区別と関連をみていく必要があるだろう。植民地犯罪論も同じである。*
最後に、著者が対象とした時期は、日本国憲法が制定・公布・施行され、「戦後民主主義」が輝き始めた時期である。
在日朝鮮人から見れば、植民地支配によって、大日本帝国憲法の下で与えられた帝国臣民の自由と権利さえ奪われ、全くの無権利状態に置かれた時期でもある。
日本人にとっては、植民地状態にして差別してきた朝鮮人をあらためて切り捨て貶めることで、「日本人」「日本国民」の主権と自由と民主主義を満喫し始めた時期である。脱植民地化過程をほとんど経ることなく、戦争の「被害者」になったふりをして生きる自由を満喫した時代だ。このことが日本人の戦争責任/植民地責任論に影響を及ぼしたことはもちろんだが、今日のヘイト・スピーチとも見事につながっている。