Sunday, May 14, 2017

よど号拉致問題報道の歴史と現在

「えん罪・欧州拉致」刊行委員会編、前田裕司監修
『えん罪・欧州拉致――よど号グループの拉致報道と国賠訴訟』(社会評論社)
[主要目次]
第1章 すべてはここから始まった
第2章 〈特別寄稿〉“拉致〟報道の検証とヨーロッパ拉致 浅野健一
第3章 ヨーロッパ拉致の真相と八尾恵の“嘘と創作”
第4章 高沢浩司『宿命』はフィクションである
第5章 国賠裁判と真相究明
第6章 「朝鮮から日本を考える」活動
第7章 日朝平壌宣言と拉致問題を越えて日朝国交関係の正常化を
第8章 平壌での座談会と小西隆裕氏への単独インタビュー
1970年3月31日の共産同赤軍派による日航機よど号ハイジャック事件の報道は中学時代だがよく覚えている。とはいえ、ハイジャック犯が何を考え、何を目指していたのかは理解の外だった。今でも同じだ。思想も論理もない、と言わざるを得ない。(幾度も試行錯誤や自己批判を重ねて、元ハイジャック犯たちが多様な思考を紡ぎだしてきたことを否定するつもりはないが)。
1988年の柴田泰弘、及び八尾恵の逮捕報道は記憶していないが、旅券返納命令に対する裁判支援の会の横浜における集会に数回参加し、支援の輪に加わった。八尾恵の変転果てしない証言にふりまわされる結果となった。
1995年ごろには救援連絡センター事務局に入った八尾が、やがて高沢浩司とともにセンセーショナルな時の人になったときの氾濫する報道を丁寧に追いかける気にはなれなかった。高沢の本は読んだが、ノンフィクションではなく「小説」であると見抜けない人間が多いことに驚いた。
それからさらに20年。『救援』紙上の記事は読んできたが、それ以上積極的にかかわることをしてこなかった。近くに関係者がおり、まずは子どもたち、そして本人たちの帰国、処遇を巡って粘り強い努力が続けられてきたことは知っていたが、一つ一つの局面で具体的に何がどうなっていたのかまでは知らない。本書を読んで初めて知ることが多かった。編者、執筆者たちの努力には敬意を表したい。
歴史のあてどなさと怖さを身にしみて感じながら、一度だけ、偶然、高麗ホテルの喫茶店で隣のボックスに陣取っていたメンバーたちの表情を思い起こした。