Thursday, October 14, 2021

なるほど、主権者のいない国

白井聡『主権者のいない国』(講談社、2021年)

<「なぜ私たちは、私たちの政府はどうせロクでもないと思っているのか。その一方で、なぜ私たちは、決して主権者であろうとしないのか。この二つの現象は、相互補完的なものであるように思われる。私たちが決して主権者でないならば、政府がロクでもないものであっても、私たちには何の責任もない。あるいは逆に、政府はつねにロクでもないので、私たちに責任を持たせようとはしない。

 だが、責任とは何か。それは誰かに与えてもらうものなのか。そして、ここで言う責任とは誰に対するものなのか。それは究極的には自分の人生・生活・生命に対する責任である」>

3月に出た本だが、ようやく読んだ。『永続敗戦論』や『国体論』においてアメリカに敗戦し、支配されている日本の戦後意識が、敗戦の否認、服従の否認にあることを鮮やかに分析した著者の最新の時論である。3月出版なので、菅政権時のものだが、主な文章は安倍政権時代に書かれたもので、安倍政権に代表される「戦後政治のレジーム」批判でもある。戦後政治を否定したり、乗り越えると称する安倍政権こそが戦後レジームであり、対米追従にはまり込んでいることを鋭く指摘する。

この国の政治、経済、社会、文化の隅々まで対米追従が浸透している。日米安保と日本国憲法の体制は度し難い売国政策なのに、政治家も国民も戦後政治を寿いできた。あられもない対米追随を誇りに思う異様さである。絶望的な欺瞞政治に気づこうとしない愚鈍な精神の謎を著者は追跡し続ける。

序章  未来のために想起せよ

第一章 「戦後の国体」は新型コロナに出会った

第二章 現代の構造――新自由主義と反知性主義

第三章 新・国体論

第四章 沖縄からの問い 朝鮮半島への想像力

第五章 歴史のなかの人間

終章  なぜ私たちは主権者であろうとしないのか

近代国家は、単純化すれば、領土、国民、主権の3要素で説明される。主権は君主主権や国民主権という形で構成されるが、対外的には主権国家の平等性が仮設された国際社会のプレイヤーとして理解できる。

日本国の主権は、憲法上は国民主権として設定されているが、外交・軍事的側面に着目すると、典型的な主権国家というよりも、対米従属の主権制限状態という特徴を有する。このことは長らく議論されてきたとおりであり、かつては「従属帝国主義論」という奇妙な状態をいかに理論化するかなどとまじめに議論されたこともある。この状態を著者は『永続敗戦論』という切り口で見事に分析した。主権者のいない国であり、「主権者たろうとする気概がない」。同じことについて、私は「自己植民地主義」とか「植民地になりたがる精神」という表現を用いてきた。アメリカとの関係では植民地になりたがり、アジアに対しては空虚な優越感を持って対する幼稚な感性に、現代日本の基本特徴が表れている。

本書の随所で、著者はこの日本的なるもののいかがわしさに挑んでいる。著者の分析は鋭く、実に説得的であるが、にもかかわらず、鵺的な日本的なるものを乗り越えることができない。そのことも著者は自覚し、分析対象としている。