加藤圭木『紙に描いた「日の丸」――足もとから見る朝鮮支配』(岩波書店)
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<植民地支配下の朝鮮でどのような暴力がふるわれ、日々の暮らしは変容したのか。人びとはどのように支配に抗い、破壊された社会関係の再構築をめざしたのか――土地の収奪や労働動員、「日の丸」の強制、頻発する公害とそれに対する闘争などを切り口に、支配をうけた地域とそこに暮らす人びとの視点から、支配の実態を描き出す。>
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第一章 奪われた土地──日露戦争と朝鮮
第二章 紙に描いた「日の丸」──天皇制と朝鮮社会
第三章 水俣から朝鮮へ──植民地下の反公害闘争
第四章 忘れられた労働動員──棄民政策と荒廃する農村
第五章 空き地だらけの都市──越境する人びと
おわりに
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「民衆史」という分野があるが、著者はこの言葉を用いていない。たぶんあまり変わらないと思うが、著者の関心がそこに向けられていないのかもしれない。むしろ、梶村秀樹の「国境をまたが生活圏」、杉原達の「地域からの世界史」に学びながら「足下からの世界史」と言い、「植民地支配の問題を一人一人の人生が破壊された問題であり、今も被害に苦しむ人がいる問題だと提起することの重要性」を唱える。
第一章「奪われた土地──日露戦争と朝鮮」では、永興湾の農村、漁村にある日、突然、日本人がやってきてカキ漁の権利を奪う。さらに日本軍がやってきて土地を取り上げ、軍事基地を建設する。海を奪われ、土地を奪われた人々は、「労働力」に切り縮められる。日露戦争と朝鮮という関係の中で、永興の人々がいかに巻き込まれ、追い出され、収奪されていくか。いかに抵抗していくか。
第二章「紙に描いた「日の丸」──天皇制と朝鮮社会」では、日本による「日の丸」強制の結果、布の旗ではなく、紙に日の丸を描いて振り、後に廃棄する。破り捨てられる日の丸。天皇制・同化・差別は、地域に入り込んだ監視として実現していくが、朝鮮人にとって天皇は疎遠な他者にすぎない。抑圧者にすぎない。
第三章「水俣から朝鮮へ──植民地下の反公害闘争」では、水俣で公害をまき散らしたチッソの原点は朝鮮にあり、植民地支配と公害が一体のものであったことを浮き彫りにする。チッソに限らず、侵略企業は「人を人と思わない状況」をつくり出し、収益を上げる。当然、住民の抵抗運動が始まる。反日、反植民地支配、反公害の闘いの始まりである。
第四章「忘れられた労働動員──棄民政策と荒廃する農村」では、後に官斡旋(強制連行問題、徴用工問題)となっていく労働力動員の1930年代の展開を、動員された労働者の立場から描き出す。
第五章「空き地だらけの都市──越境する人びと」では、日本の軍事的観点、産業的観点から構想された都市・清津のまちづくりが、現地の人々の暮らしと無縁であり、地域の経済にも即していないため、「空き地だらけの都市」ができあがる喜劇を描き出す。清津だけでなく、慶興にとっての地域発展という観点から見ることで、さらに日本と朝鮮を含んだ歴史の構造が見えてくる。地域内部における支配とのたたかいは、「越境する抵抗」という形態で可視化される。
著者は、イデオロギーとしての反日ではなく、人々の暮らしの中から生まれ、立ち上がろうとする反日を描き出す。反日とは、生命を取り戻し、人間を取り戻す闘いである。暮らしを再建するために必然としての反日である。この点を理解させてくれる好著だ。
ここから2・8宣言や3・1宣言などの独立闘争、解放闘争への発展のダイナミズムも取り上げて欲しいが、それは後日の期待としよう。