山本かほり『在日朝鮮人を生きる 〈祖国〉〈民族〉そして日本社会の眼差しの中で』(三一書房)
https://31shobo.com/2022/01/22001/
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第Ⅰ部 朝鮮学校との十年
緒言
第一章 朝鮮学校研究に向けて
第二章 朝鮮学校で学ぶということ──排外主義の中で
第三章 〈祖国〉への修学旅行──朝高三年生の〈祖国訪問〉同行調査から
第四章 「北朝鮮」言説と朝鮮学校──マジョリティの「良心」が「暴力」になるとき
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エッセイ 平壌で乾杯──私が出会った人たち
祖国の愛は温かい
とりこになったインジョコギパップ
平壌の障がい児施設を訪ねて
帰国子女の悩み
地域が育てる─正明くんのこと
運転手としての誇り
만남─出会い
最高の連れ
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第Ⅱ部 ある在日朝鮮人家族親族の生活史─三十年間を見つめて
緒言 在日朝鮮人の家族親族の世代間生活史調査とX家──調査の概要
第一章 X家の世代別生活史──上昇移動の生活史
第二章 ある在日朝鮮人家族・親族の生活史に見る民族意識の変遷──上昇移動の後に
第三章 X家と朝鮮学校・総聯──X家の生活史のもう一つの側面を読む
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約30年に及ぶ在日朝鮮人研究と、10年を経た朝鮮学校との交流をまとめて1冊にした著者は、社会学の窓から在日朝鮮人を「発見」し、調査し、つきあい、学び、そして生きてきた。
第Ⅰ部では、高校無償化からの朝鮮学校排除との闘いに加わり、愛知朝鮮学校と交流を深めてきた中での訪朝経験も含めた著者の体験記と紀行と闘いが紹介される。一貫して在日朝鮮人研究をしてきたが、朝鮮学校との出会いは10年程前であり、朝鮮民主主義人民共和国との出会いもその後のことだという。高校無償化問題を契機に朝鮮学校と本格的に付き合い、朝鮮に向き合うようになり、「私の世界観は大きく変わった」という。訪朝体験を語ると「洗脳されている」と返ってくる。山本は当初はその影響を受けていたという。「西洋民主主義的な思考が唯一無二の『普遍』だという考え」から抜け出るのに苦労した。「西洋民主主義的思考の特殊日本的理解と受容」を「普遍」と考えて怪しまない日本社会を相対化できたということだろう。
第Ⅱ部では、「ある在日朝鮮人家族親族の生活史」とあるように、30年がかりで調査し、つきあってきた家族の物語を通じて、在日社会の変容を追跡する。在日一世から二世へ、そして三世、四世へと変わってきた家族の在り方、国籍も変わり、職業も変わり、社会的位置も変わる。民族意識にも変容がある。それでも日本社会に単純に同化されずに、在日の意識を持ち続け、生き続ける。そのことの意味を山本なりに考える。日本と朝鮮半島だけでなく、世界的な移民・移住との対比も含め、広い視野で考えると、在日朝鮮人社会の独特の歴史が持つ意味が新しい様相を帯びて見えてくる。そして、日本人と日本社会が見えてくる。
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私も在日朝鮮人との付き合いは35年になるが、在日朝鮮人を「支援」したことがない。在日朝鮮人の闘いを支援したことがない。在日朝鮮人を研究対象にしたこともないので、山本の記述は私にとって新鮮だ。
私の場合、自分が暮らす社会の中で差別や人権侵害が起きているから、反差別、人権実現の活動に加わってきた。もともと刑法という国家権力の発動に関わる学問を専攻したので、刑事弾圧や警備公安警察の不当活動を批判し、権力の恣意的差別的発動に異議を申し立ててきた。このため、日本を少しでもまともな社会に変えるため、在日朝鮮人に協力してもらってきた。私の研究対象は日本国家権力であり、差別を止められない日本社会であり、日本法だ。「リベラル派のつもりで、実はヘイト・スピーチを懸命に擁護する憲法学」=「レイシズム憲法学」も研究対象だ。日本をまともな社会に変えるのは日本人の責任だが、力不足のため、日本で差別被害を受けてきた朝鮮人の力を借りてきたのが実情だ。
山本は社会学者として在日朝鮮人を研究し、そこに反映された日本社会を研究し、その一因である自分自身に向き合おうとする。そのことを通じてさらに朝鮮学校にかかわり、学びながら、支援も行う。私とは異なるスタンスだが、結局のところ、同じことに帰着するのだろう。山本はやがて自ら日本社会論をまとめるだろうか。