Saturday, December 15, 2012

取調拒否権の思想(2)


黙秘権

 

 前回は、黙秘権を行使して取調を拒否し、そのために出房拒否を実践した例を紹介した。この実践は黙秘権行使に新しい局面を拓くものであり、しかも取調をめぐる法理論にも重要な問題提起となっている。取調拒否権が浮上するからである。取調に際して黙秘することから一歩踏み込んで、黙秘権行使のために取調そのものを拒否する思考である。そこで黙秘権とは何かの基本に立ち返って、より詳しく検討することにしよう。

 黙秘権(自己負罪拒否特権)は、例えば、次のように定義される。

 「自己帰罪拒否特権ともいう。何人も、自己に不利益な供述を強要されないこと(憲三八Ⅰ)、即ち、自分自身に罪(=刑事責任)を負わせる(ないし加重する)結果となる供述を拒否できる権利である。自己に不利益な供述には名誉や財産上の不利益は含まない。アメリカ合衆国憲法の自己負罪(セルフ・インクリミネーション)に由来する。被疑者・被告人については、利益・不利益を問わずいっさいの供述を包括的に拒否できる(刑訴二九一Ⅱ・三一一)ので、黙秘権とも呼ばれる(そもそも供述義務がない)。証人は、一般に出頭・宣誓・供述の義務があるが、『自己が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受ける虞のある証言』は拒否できる(刑訴一四六)。議院の審査・国政調査における証人が、当該内容の証言を拒否することも保障する。」(『コンサイス法律学用語辞典』三省堂)。

 さらに、黙秘権の告知について、次のように整理される。

 「刑事訴訟法一九八条二項は、捜査機関が被疑者の取調に際して、予め自己の意思に反して供述する必要がない旨を告げなければならないと規定する。また、同二九一条二項は、裁判長に対し、起訴状の朗読が終わった後、被告人に対し、終始沈黙し、または個々の質問に対し陳述を拒むことができる旨を告げることを要求する。これらを黙秘権の告知という。」(同右)

以上のことを整理すると、いくつかの論点が交錯することになる。

第一に、憲法上の権利であるのか、それとも刑事訴訟法上の権利であるのか。ここで注意するべきことは、右のように憲法三八条一項「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」を引証するだけで十分なのかどうかである。憲法三六条は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」としているので、重要条文であることは言うまでもない。だが、それだけではない。三六条、三八条の前提に、憲法一三条が「すべて国民は、個人として尊重される」とし、自由権と幸福追求権を定めていることを忘れてはならない。

第二に、誰の権利であるのか。被疑者、被告人、証人その他が列挙されている。ここでも、憲法一三条などを前提として、原則論としては、すべての者の黙秘権が想定されなければならない。そのうえで、法律上のそれぞれの扱いが定められている。取調拒否権を論じる本稿では、以下、被疑者の黙秘権を中心に検討する。

第三に、権利告知の要請と、その効果が問題となる。権利告知は、憲法の明文の要請ではないが、それに準ずるものと理解するべきである。

さらに、第四に、黙秘権行使の帰結も重要である。権利である以上、黙秘権を行使したことを理由に不利益推定をしてはならないというのが通常の理解である。

 

取調受忍義務論

 

実務では、被疑者について取調受忍義務論が採用されている。とりわけ身柄拘束された被疑者には取調受忍義務があるのが当然であるかのごとき実務が支配している。身柄拘束されていない被疑者についても、しばしば事実上の取調受忍義務が課されていると言って過言ではない。

実務における被疑者の取調受忍義務論は、一方で捜査機関の被疑者取調権を前提とし、同時に、被疑者の出頭・滞留義務を根拠としている。

刑事訴訟法一九八条一項は「検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、被疑者の出頭を求め、これを取り調べることができる。但し、被疑者は、逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる。」と定めているので、被疑者に対する取調の強制権限と、身柄拘束されていない被疑者には出頭拒否を認めている体裁なので、身柄拘束されている被疑者には出頭義務だけでなく滞留義務もあると解釈されている。

取調受忍義務論には疑問が少なくない。ここでは福井厚(京都女子大学教授、元法政大学教授)の教科書『刑事訴訟法講義[第五版]』法律文化社、二〇一二年)から引用しよう。福井には他にも『刑事訴訟法[第七版]』(有斐閣)、『刑事訴訟法学入門[第三版]』(成文堂)、『刑事法学入門[第二版]』(法律文化社)がある。

「実務は、一九八条一項但書の『逮捕又は勾留されている場合を除いては』という文言を根拠に、逮捕・勾留中の被疑者取調を強制処分と考えている。学説の中にも、逮捕・勾留中の被疑者には、捜査官の取調を受忍する義務があり、捜査官の出頭要請に対して被疑者は出頭を拒み、又は出頭後退去することはできないとするものがある。出頭義務・滞留義務を肯定しても、供述自体を強制することにはならないというのであろう。しかし、被疑者には、憲法上、黙秘権が認められている。この黙秘権は包括的なものであり、黙秘権を保障する見地に立てば、取調受忍義務を肯定することはできないであろう。また、逮捕・勾留は積極的な取調のために設けられている制度ではなく、逃亡及び罪証隠滅を防止すると言う消極的な機能を果たすための制度であり、従って逮捕・勾留が取調受忍義務を生ぜしめるという見解には、理論上、重大な疑問がある。取調目的の身柄拘束を認めることは、被疑者・被告人に訴追側と対等の地位を認める当事者主義に悖る思想であると言うべきであろう。そもそも、強制処分法定主義からすれば、逮捕・勾留中の被疑者に逮捕・勾留とは別個独立の処分である取調受忍義務を負わすのであれば、そのための(一九八条一項但書とは別の)明文の根拠規定が必要だと言うべきである。」

ちなみに、取調受忍義務肯定論者としては、検察関係者のほか、団藤重光(東京大学名誉教授、元最高裁判事)があげられている。他方、否定論者としては、平野龍一(元東京大学総長)、石川才顕(日本大学名誉教授)、光藤景皎(大阪市立大学名誉教授)、松尾浩也(東京大学名誉教授)、田宮裕(立教大学名誉教授)、小田中聡樹(東北大学名誉教授)などがあげられている。

取調受忍義務をめぐる議論は、黙秘権論だけではなく、未決拘禁(逮捕・勾留)論、訴訟構造論にも及ぶ理論問題として展開されてきた。そうした射程も考慮に入れつつ、取調拒否権の立場から光を再照射する必要がある。

 

救援連絡センター『救援』520号(2012年8月)