Saturday, December 22, 2012

纐纈厚『領土問題と歴史認識』


纐纈厚『領土問題と歴史認識』(スペース伽耶、2012年)


 

著者:1951年、岐阜県生れ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。現在、山口大学人文学部教授、独立大学院東アジア研究科教授。政治学博士。山口大学理事兼学生教育担当副学長。東亜歴史文化学会会長

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BA%90%E7%BA%88%E5%8E%9A

 

目次

はじめに 「領土」と「歴史」をめぐる確執

1章 歴史を観て回る

2章 どう歴史と向き合うのか

3章 日本外征の果てに―台湾領有の歴史を繙く

4章 日本の対韓認識をめぐって

終章 未決の植民地・戦争責任問題―領土問題解決の糸口はどこに

 

『総力戦体制研究』依頼、日本近現代史、郡司氏に関する膨大な研究を送り出してきた著者による領土問題研究である。もっとも、前半は、歴史研究や共同研究に関連するエッセイが中心である。第3章以下は、日本・中国・台湾の関係史、日本と韓国の関係史、要するに、侵略の日本帝国主義史を概観し、侵略のイデオロギーが日本と日本人から抜きがたくなった理由を探る。

 

これまで著者に多くを学んできたが、本書でも学ぶべき点が多い。議論の手掛かりとしてとくに重要な一か所だけ引用しておこう。以下は「征韓論」に関連して書かれた文章である。

 

「大陸侵略思想の基本的構造が国内権力構造の性格を反映したものとして存在し、また国内権力構造の変転に左右されながら表出していく体質を持っていたがゆえに、侵略思想は実に多様な担い手により多様な形態をもって展開された。
 同時に、侵略思想に内発性と外発性というものがあれば、日本の大陸侵略思想は内発性が極めて優位を占めただけに、危機設定と脅威の対象は、常に国内の政治社会状況や権力構造の変化に規定される傾向を持ったものとしてあった。
 そのことは、客観的な危機が存在しない場合でも、国内の諸矛盾の存在や権力強化の手段の極めて有効な方法として、任意に危機や脅威の対象を設定することを可能とさせた。実際のところ、日本の侵略思想は客観的な理由づけに乏しく、主観性に依拠した実態をともなわないものであっただけに、それが一定の政治力として実践されていくためには特殊なイデオロギー装置をフルに稼働させる必要性があった。
 そのためにも種々のレトリックを多用して、侵略戦争の客観的合理性の欠如を補強せざるを得なかったのである。そこで後年、天皇制が有力なレトリックの素材として活用されるという事態が不可避となった。」(160頁)

 

この文章を著者の文脈で読む限り、大いに納得しながら読んだ。

 

ただし、これはかなり議論を呼ぶ文章でもあるだろう。

 

第1に、これは果たして「日本」に固有の侵略思想の在り方なのか。侵略の比較思想史を抜きには判断できない。

 

第2に、著者の文脈を大幅に逸脱して読み解けば、例えば、中国侵略戦争を擁護した田中正造について、今日でも研究者が、正造は反戦主義者である、などと馬鹿げた嘘を唱え続けるのかを理解する鍵がここにある。同様に、朝鮮人差別の新興宗教に熱中していた宮沢賢治について、今日でも研究者が、賢治は平等主義者であり、人間を尊重したなどと、嘘を唱えるのかを理解する鍵がここにある。侵略戦争の戦争責任を、いまなお日本人が認めようとしないのは、こういうインチキ正造研究やインチキ賢治研究が幅を利かせているからでも、あるだろう。そのことを著者は思い出させてくれた。