未決拘禁法研究
二回にわたって取調受忍義務論への批判を見てきた。刑事訴訟法学説の多くは被疑者取調実務を批判している。
そうした学説を総括し発展させたのが葛野尋之『未決拘禁法と人権』(現代人文社、二〇一二年)である。葛野は一橋大学教授で刑事訴訟法・少年法の専門家である。主著に『少年司法の再構築』(日本評論社)、『刑事手続と刑事拘禁』(現代人文社)、『少年司法における参加と修復』(日本評論社)があり、いずれも本格的な研究書である。刑事立法研究会などの研究会における共同研究と討論を通じてさまざまな著書・論文が公表されてきたが、葛野はそうした研究の中心的存在であり、つねに論争を喚起し、理論成果を積み重ねてきた。『刑事手続と刑事拘禁』と『未決拘禁法と人権』は取調べと身柄拘束問題を考える際の最重要文献である。本書は序章・終章と一一の章、つまり全一三章から成る。まずは目次を掲げておこう。
序章 本書の目的――未決拘禁法をめぐる一〇の課題/第一章 勾留決定・審査手続の対審化と国際人権法/第二章 勾留回避・保釈促進のための社会的援助/第三章 代用刑事施設と国連拷問等禁止条約/第四章 代用刑事施設問題の現在――二〇〇八年自由権規約委員会勧告から/第五章 被疑者取調べの適正化と国際人権法――弁護人の援助による黙秘権の確保/第六章 被疑者取調べにおける黙秘権と弁護権/第七章 被逮捕者と公的弁護/第八章 弁護士会の人権救済活動と刑事被拘禁者/第九章 再審請求人と弁護人との接見交通権/第一〇章 最高裁接見交通判例再読/第一一章 検察官による接見内容の聴取と秘密交通権/終章 刑事被収容者処遇法における接見交通関連規定。
浩瀚な本書の全体について論評する余裕はない。著者は序章で一〇の課題を掲げているので、それを見て行こう。第一の課題は、身体拘束と取調べを結合させて、取調受忍義務を課し、黙秘権を危険にさらす代用監獄(代用刑事施設)問題であり、「捜査と拘禁の分離」をいかに実現するかである。第二は、身体拘束下の取調べという場面において、被疑者の黙秘権と弁護権がどのような目的・機能を有するかである。第三は、逮捕段階での公的弁護の保障をいかに実現するか。第四は、接見交通権を憲法第三四条の弁護権に由来する権利として再構成することである。第五は、被疑者と弁護人の秘密交通権を制約する実務(接見内容の聴取)による萎縮的効果を生じさせないことである。第六は、再審請求人と弁護人の接見の自由と秘密性の確保である。第七は、接見交通権を制約する刑事被収容者処遇法の解釈・運用及び立法論である。第八は、未決被拘禁者の権利侵害に関する実効的救済である。第九は、無罪推定の法理と身体不拘束の原則に立った、未決拘禁抑制のための社会的援助である。第一〇は、国際人権法による手続保障の水準を踏まえた、勾留決定・審査手続きの在り方である。これらすべてに共通する問題意識は「取調べのための身体拘束」の克服であり、未決拘禁法の在り方という統一的視点から、葛野刑事訴訟法学が開陳される。
弁護権と黙秘権
葛野は第三章で、代用監獄に関する二〇〇七年の拷問禁止委員会の勧告が、代用刑事施設(代用監獄)の存在・継続を認めたものであるかの如き主張に対して、拷問禁止条約の精神と内容、拷問禁止委員会における審議経過、及び最終的な勧告の内容を吟味して、代用刑事施設は「捜査と拘禁の分離」に適合しないことから、国際的最低水準を満たさず、制度的廃止を勧告したことを明らかにする。続く第四章では、二〇〇八年の自由権規約委員会の勧告が、やはり代用刑事施設の廃止を求め、それまでの間に自由権規約第一四条の完全遵守を促したものであると指摘する。自由権規約第九条三項の「捜査と拘禁の分離」を達成するために代用刑事施設の極小化が求められるという。
被疑者取調べは自白強要のための人権侵害が起きやすい場面であり、虚偽自白による誤判・冤罪の危険性が高まる。被疑者取調べの適正化は喫緊の課題である。そこで葛野は第五章で、被疑者取調べへの弁護人のアクセスを取り上げ、欧州人権裁判所のサルダズ判決及びイギリス最高裁のカダー判決に学びながら、欧州人権条約を参考に国際自由権規約の弁護権や、不利益供述強要の禁止を解釈する。
「弁護人の援助により黙秘権を確保するという予防的ルールのもと、逮捕後、弁護人へのアクセスを制限したまま被疑者を取り調べることは、規約一四条三項(c)による弁護権を侵害するのみならず、同項(g)の黙秘権をも侵害する。そのような取調べの結果採取された自白を有罪証拠とすることは許されないのである」。
「自由権規約一四条三項(c)・(g)の要請からすれば、逮捕・勾留中の被疑者が、弁護人となろうとする者としての当番弁護士との接見を含め、弁護人等との接見を申し出たときは、取調べに先立ち、または取調べを中止して、接見の機会を付与しなければならない。被疑者が弁護人を選任する意思を表明したときは、当然、弁護人等との接見要求を含む趣旨と理解すべきである。接見・選任の要求があるにもかかわらず、取調べ中または取調べの間近い確実な予定をもって『捜査のため必要がある』として接見指定をすることは、弁護人へのアクセスの制度的な制限として許されない」。
さらに葛野は第六章で、「被疑者の権利としての取調べの適正化」のための弁護人立会権を論じ、「取調べへの対応が防御上重要な意味をもつ以上、防御権的性格を有する黙秘権を確保するための手続き保障として、被疑者が自己の権利を十分理解したうえで取調べに臨み、黙秘するか、なにを、どのように供述するかを判断するにあたり、取調べに先立つ弁護人との接見とあわせ、取調べ中の弁護人立会権が保障されなければならない。このような弁護人の援助は、黙秘権を確保するための手続保障として、憲法三四条の弁護権とともに、憲法三八条一項により基礎づけられることになる」と述べる。
以上、『未決拘禁法と人権』のごくごく一部だけを紹介した。刑事手続き、とりわけ取調べの適正化をめぐるもっとも優れた研究であり、『刑事手続と刑事拘禁』とともに繰り返し読み解き、理論的にも実践的にも活用されるべき一冊である。
これまで紹介した刑事訴訟法学説を参考にしながら、次回、いよいよ取調拒否権の具体的内容に入る。
救援連絡センター『救援』522号(2012年10月)