取調受忍義務論
被疑者を逮捕・勾留し、取調室に出頭・滞留して取調べを受けることを強制するのが実務である。黙秘権の保障など顧みようとしない。しかも、被疑者の身柄拘束場所は、本来は拘置所であるにもかかわらず、警察署内の留置場を代用監獄として利用してきた。捜査機関が、被疑者の身柄を自由自在にコントロールし、取調べを強制し、自白を強要する拷問システムである。国際自由権規約に基づく自由権委員会や拷問禁止委員会から厳しく批判されてきたが、捜査当局は改めようとしない。代用監獄、取調受忍義務論、自白強要は三位一体の実務であるが、これらを切り離して正当化してきた。 取調受忍義務論は、次のような「論理」をもとにしている。
第一に法律上の根拠である。刑事訴訟法一九八条一項は「検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、被疑者の出頭を求め、これを取り調べることができる。但し、被疑者は、逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる。」と定めている。被疑者に対する取調の強制権限と、身柄拘束されていない被疑者に出頭拒否を認めているので、身柄拘束されている被疑者には出頭義務だけでなく滞留義務もあるという。一九八条一項但書の反対解釈である。
第二に逮捕の法的性質である。受忍義務論は、逮捕の目的に被疑者取調を含めたり、起訴前勾留は被疑者取調を含めた捜査のためのものであるという。未決拘禁全体の目的に被疑者取調を含める見解もある。
第三に黙秘権との関係は、出頭・滞留義務を認めて、取調べを受けることを強制しても、供述そのものを強制しているわけではないと説明される。取調室で沈黙しているのは自由であるとしつつ、強制処分としての取調だから捜査官が被疑者に供述を促し、説得するのは当然であるという趣旨である。つまり、憲法で禁止された自白強要はしていないとされる。
第四に実際上の必要性である。犯罪捜査にとって被疑者取調は必須であり、治安確保のために被疑者取調は欠かせないという。一九八〇年代には「日本警察優秀論」が喧伝されたが、その際にも、犯罪検挙率の高さとともに、犯罪者に説得をして自白させ反省させることが再犯防止につながり、警察の優秀さに含まれているとされた。
なお、最高裁判例は被疑者の取調受忍義務について特に言及していない。下級審判例の中には、被疑者の取調受忍義務を前提としていると理解されるものがある。例えば、都立富士高校放火事件に関する一九七四年一二月九日東京地裁判決である。
取調受忍義務論は以上のようなものであるが、警察・検察関係者はもとより、裁判所もこれを是認ないし放置している。というよりも、逮捕・勾留実務を見るならば、被疑者取調受忍義務が当然の前提であるかのような様相を呈している。
受忍義務論批判
しかし、被疑者取調受忍義務を課している実務は違法であり、憲法違反であり、重大な人権侵害であって、改められる必要がある。
前回は刑事訴訟法教科書(福井厚)を紹介したが、今回は刑事訴訟法学者によるコンメンタール(註釈書)を紹介しよう。多田辰也(大東文化大学教授)は次のように述べている(後藤昭・白取祐司編『新・コンメンタール刑事訴訟法』日本評論社、二〇一〇年)。
多田は問題点を次のように整理する。「身柄拘束中の被疑者には、取調室へ出頭しそこに留まる義務、つまりは取調べ受忍義務があるかが、最大の論点とされている。この争いの根源は、旧法までは予審に属していた強制的取調べ権が、現行法では捜査機関に委譲されたと考えるか否かという点にあり、その意味で捜査構造論の中核をなす」。
そのうえで、受忍義務肯定説に対して、「しかし、但書の反対解釈から導かれるに過ぎない受忍義務は、強制処分法定主義に反する。しかも、受忍義務を肯定することは、包括的な黙秘権を保障した現行法の理念にも反するといわなければならない」と批判する。
受忍義務否定の根拠は「黙秘権の実質的保障、取調べ目的の逮捕・勾留は認められていないこと、被疑者の当事者としての地位」があげられる。
それでは、一九八条一項但書をどのように解釈するのか。この点はいくつかの学説に分かれているが、例えば「出頭拒否とか退去を認めることが逮捕・勾留の効力自体を否定するものではない趣旨を注意的に明らかにしたと解する見解」や、「本条一項は在宅被疑者に対する出頭要求の規定であり、そうであれば身柄拘束中の被疑者については出頭要求は問題となりえないので、念のため除外規定が設けられたとの見解」などを紹介したうえで、「いずれの解釈にも問題があることは否定できない。しかし、憲法及び刑訴法の精神に照らせば、受忍義務否定説に与すべきは明らかである」とする。
他方で、取調べ禁止説について多田は次のように述べる。「証拠収集方法としての被疑者取調べを否定し、取調べを被疑者の権利としての『告知と聴聞』の機会と捉える見解もある。しかし、そのよって立つ訴訟観自体に問題があるだけでなく、現行法の解釈としても無理がある」とし、「さらに、現行法上、身柄拘束中の被疑者取調べは許されないとの主張も展開されているが、解釈論としても現実論としても、説得性に乏しい」とする。後者は、澤登佳人(新潟大学名誉教授)、横山晃一郎(九州大学名誉教授)らの見解のことである。有力少数説であるが、一九八条一項は、逮捕・勾留中の被疑者の取調べを認めているため、支持は広がっていない。
取調べの法的性質について、多田は次のように述べる。「受忍義務肯定説は、受忍義務を認めても供述義務を課すわけではないとして、身柄拘束中の被疑者取調べを任意処分に分類する。しかし、取調べという形での拘束を肯定する以上、強制処分と解すべきである。これに対し、受忍義務否定説は、供述だけでなく、取調べに応じるか否かの自由をも認めるのであるから、取調べは任意処分ということになる」。
最後に黙秘権について、多田は「本条二項は黙秘しうる事項を限定していないから、被疑者はすべてを黙秘することができる」とする。憲法三八条一項は「自己に不利益な供述」を強要されないと定めているが、黙秘権の範囲は自己に不利益な事項だけではなく、すべてが含まれるという趣旨である。具体的には氏名等の黙秘が問題となる。判例は氏名は黙秘権の対象ではないとするが、学説は氏名も黙秘権の対象と解している。