Thursday, December 13, 2012

取調拒否権の思想(1)


取調拒否の実践

 

 本年三月三一日に開催された救援連絡センター総会において、代用監獄(留置場)に逮捕・勾留された被疑者による取調拒否の実践が報告された。逮捕されたAは、警視庁三田署において、

取調拒否、点呼拒否、ハンストを宣言した(ハンストは体力等を勘案して勾留決定まで)。Aの取調拒否(出房拒否)の実践は非常に示唆的であり、理論的にも検討を深める必要があるので、以下、やや詳しく紹介したい。

  二〇一一年二月二〇日、沖縄高江での米軍ヘリパッド建設に反対する反戦デモで、アメリカ大使館前を通るコースを申請したが、都公安委員会にコース変更処分されたので、当日、デモをボイコットして歩いて大使館まで行く戦術に切り替えた。集合場所・新橋駅前では、警察が情宣に対して、公安条例違反の無届集会だと恫喝を加えていた。大使館前までの移動中も、警察は「公安条例違反の無届デモだ」と、参加者を萎縮させようとしていた。

Aは、麻生邸リアリティーツアー不当逮捕事件国賠訴訟の事務局をしているので、このような公安条例弾圧に非常に腹が立ち、悪宣伝を繰り返す警察車両の梯子に登って口頭で抗議をした。拘束されないようにすぐに降りた。警察は、大使館に抗議をさせないために手前でピケを張っていた。不当不法なピケを久しぶりに見ると腹が立ち、再度警察車両の梯子にのぼり指揮官に抗議をした。すぐに降りたが、群がった警察官はAを拘束し、突然の「検挙」の掛け声で逮捕された。

Aは、梯子に登ること自体は何の違法行為にもならないと考えていたし、抗議自体も口頭によるもので、物理的な実力行使とは程遠いものであった。赤坂署に連行されるまでの間、私服刑事に「被疑事実は何か」と聞いても、具体的な被疑事実、罪名は答えなかった。後に被疑事実とされたのは警察官の胸を殴打したとのデッチ上げの公務執行妨害であった。

赤坂署での弁解録取では、逮捕自体が被疑事実すら告げられない違憲な逮捕だとして即時の釈放を要求した。「手続に異議があるので、六法全書を持ってくるよう」要求したが、「便宜供与になる」と言うので、「ならば便宜供与になるといった発言のみを録取書に記載せよ」と言ったが、取調刑事は拒否した。

署の前で仲間が抗議行動をしていたので、「接見させろ」のコールに呼応して、取調室でシュプレヒコールをあげたところ、数人がかりで体を押さえつけられ、ある刑事がひじでAの喉を圧迫した。数時間たって、弁護士接見が入ったので、押収品目録を宅下げするよう要求したが、「赤坂署は改装中の仮施設で留置設備がない、だから書式もないから無理だ」などと無責任なことを言うので、弁護士とともに抗議した。Aは喘息もちなので病院診察を要求し、慶応大学病院の診察を経て、三田署に移送された。

 

出房拒否戦術

 

イラク反戦以降付き合いのある仲間は、市民運動家、いわゆるノンセクト、あるいはアナキストだったりするが、街頭闘争で多く逮捕されてきた。仲間が逮捕されれば救援するし、救援された仲間は次の弾圧の救援をするといった相互救援のなかで経験を共有してきた。「黙秘」の話が出た時に「そもそも取調自体を拒否すれば、あの長時間の苦痛はないのではないか」、「取調したって何も話さないんだから、黙秘権っていうならそもそも出ていかなくてもいいんじゃないか」という雑談をしたことがある。興味を持って調べた仲間から、包括的黙秘権と取調受忍義務という概念を教えてもらい、さらに調べてみたらどうもその点を争った判例もないようなので、「次に入ったらやってみるか」と笑いあっていた。そこで、Aは三田署に留置されるや、取調拒否を宣言したのである。

Aは「供述は任意であり、そもそも黙秘を公言しているのだから、取調室に行く必要がない。強制的に引きずってでも連れて行くつもりなのか。もしそうするなら徹底的に争うぞ」と言った。すると、留置担当官は「強制的には連れて行けないけど、取調べの刑事さんに直接言ってもらえる?」と言うので、 「言うために出て行ったら、なし崩しに取調べになる。行かない」と返すと、それで終わった。他の日も呼びには来るが、「出ない」と言えばそれまでであった。

警察側は何を聞きたがっているのか探りを入れようと思って一度出房したが、人定程度のことしか聞かれなかったので、早々に切り上げさせて房に戻った。救対に警察の動向を知らせるために出たわけだが、無意味だと思い直して、以降はやめて、出房拒否を貫いた。

取調室に入れば、長時間にわたって身体的精神的苦痛を受けるから、そもそも出ないというのは非常に健康にいいという。

検察庁での検事調べに対しては「黙して語らずとだけ書くように」と言い、すぐに終わった。その後、三田署に検事が調べに来たが、出房しないでいたら、留置担当官は警察の調べとは違う困った様子で、「頼むから直接検事に言ってくれ」と言われ、取調室ではなく弁護士接見に使う面会室でやるというので面白がって出てみた。もちろん被疑事実については何も述べず、逆に「写真や映像を見ても被疑事実が確認できない」という言質をとった。

Aは、仲間に出房拒否を勧めている。実際に 九・一一弾圧と竪川弾圧では何人か出房拒否を実践した。警察の対応はまちまちで、「引きずり出すよ」と留置係に言われた者もいれば、捜査担当刑事が留置場に入ってきて「引きずりだしてやる」と言われた者もいる。前者は無理せず、結局は出房したようだが、後者は拒否を貫徹した。

Aは「当然権力の反撃もあるので楽観できませんが、転向強要・自白強要の温床である密室から自由であることの意義は大きく、自白中心主義を解体するための強力な武器になると思います。新たな捜査手法として黙秘の不利益推定も目論まれていますから、これまで以上に黙秘の意義を強調すべきです」と語る。

以上がAの取調べ拒否の実践である。これまで黙秘権行使の重要性が唱えられてきたが、黙秘権行使にはそれなりの覚悟が必要でもある。取調室で刑事に囲まれて、延々と嫌がらせ攻撃にさらされ、黙秘を貫くのは容易ではない。黙秘権を行使するということは、取調べの質問には答えないことである。答える必要がないのだから、そもそも取調室に行く必要もない。それならば、出房拒否をするのが穏当かつ効果的な黙秘権行使である。そこで、次回は取調拒否権の確立のために検討を加えたい。

 

救援連絡センター『救援』519号(2012年7月)