Friday, March 08, 2013
資本主義の外部に音楽はあるか
毛利嘉孝『増補ポピュラー音楽と資本主義』(せりか書房)
http://www.serica.co.jp/309.htm
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2007年に初版が出た本の増補版だ。以前は飛ばし読みの感じだったが、今回はちゃんと読んだ。アドルノの批判理論による文化研究、ポピュラー音楽論を一つの手掛かりに、ジャズ、ロオック、パンク、レゲエ、テクノミュージック、ヒップホップ、などのポップミュージックの変遷と意味を探る試みだ。著者は1963年生まれ、東京芸術大学准教授、専攻は社会学だ。音楽学部の学生相手に、社会学と音楽の交錯する分野の授業をしているそうで、その教科書として書かれたものだ。つまり学生向けの本だが、ビートルズはもとより、ハード・ロック、プログレッシブ・ロック、ブラック・ミュージックなどが次々と取り上げられていて、あの時代に青春を送った人間にとってはそれだけでも面白い。ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、そしてヴェルヴェット・アンダーグラウンドだ。もっとも、ヴェルヴェットとキャラバン、そして初期ジェネシスの関係を追いかけていた私としては、キャラバンとジェネシスが出てこないのがちょっと。アトール、オザンナ、バンコ、アフロディテス・チャイルドのようなマイナー・バンドじゃないんだから。でも、アドルノ理論を活用して、現代ポップミュージックと資本主義の関係を問うのだからおもしろくないはずがない。資本主義との関係というのは、音楽を単にメロディ、リズム、歌詞として楽しむだけではなく、音楽の生産、流通、消費に着目して、音楽がどのように人々に届けられ、支持されていくのかを論じているからだ。増補版では、CDが売れなくなった原因を探る中で、音楽産業の変容とアイドル文化の在り方の変遷を重ね合わせて分析している。もっとも、音楽はやっぱり読むものではない(苦笑)。
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本書の主張を単純化してはいけないが、終わりのほうでまとめて次のように書かれている。
「ここまで、ポプラー音楽の実践について述べてきました。あらためて確認しなければいけないのは、ポピュラー音楽の実践は、実験的なアヴァンギャルドや左翼的な実践とは異なり、資本や権力に対して常に両義的な立場を取るということです。それは対抗的になると同時に反動的になる可能性を同時に秘めています。そして、そのことが、しばしば(自称)ラディカルな政治中心主義者をいらだたせながらも、大衆的なものを動員し、組織化することを可能にしたのでした。この両義性こそが、本来の政治を獲得する鍵であり、ポピュラー音楽の魅力なのです。
ポピュラー音楽は、資本主義に対抗するものでもなく、独立したものでもなく、資本主義が作り出した無駄なもの、過剰なもの、廃棄してしまったものから作り上げられたものです。それは資本主義の、副産物だったのです。現代社会の皮肉は、その副産物が今では主要な生産物へと変貌しつつあることです。その結果、ポピュラー音楽はその役割をまた変容させつつあります。」
本書を通読すれば、この指摘は納得できよう。
不満と言えば、ポピュラー音楽、ポピュラリティのある音楽が、ロックやジャズやパンクとあらかじめ決められているところだろう。ポピュラー音楽と資本主義という問題設定をしたとたんに、「民族音楽」は世の中から消されてしまう。「Ⅳ 人種と音楽と資本主義」で「黒人」音楽をめぐりジャズの発展史が語られるが、それ以外の世界の民族音楽は取り上げられない。資本主義以前から存在し、存在したと信じられ、資本主義世界において再編成されていく民族音楽については何も語られない。欧米の音楽産業(ラジオ、テレヴィ、レコード会社、プロダクション)の世界でメジャーになったものだけがポピュラー音楽と認定されていく。アラブであれインドであれ民族音楽も資本主義に徐々に取り込まれてきたのだろうが。
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目次
はじめに
Ⅰ ポピュラー音楽と資本主義
1 マルクス主義的批判理論の導入
2 アドルノのポピュラー音楽批判
3 反抗の時代・ロックの時代
4 アドルノ的なペシミズムに対するポピュラー音楽研究からの批判
Ⅱ ロック時代の終焉とポピュラー音楽の産業化
1 産業化するポピュラー音楽
2 七〇年代の日本のポピュラー音楽
3 音楽産業の変容
4 フォーディズム的な生産様式とその終焉としての六八年
5 ポストフォーディズム的生産体制
Ⅲ ポップの戦術――ポストモダンの時代のポピュラー音楽
1 アート・イントゥ・ポップ
2 アンディ・ウォーホル、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド
3 パンクとテクノの登場とロックの終わりの終わり
4 KLFと資本主義の消費
5 日本のポピュラー音楽におけるポップの戦術
Ⅳ 人種と音楽と資本主義
1 人種とポピュラー音楽
2 「黒人」というカテゴリー
3 移動する音楽・変容する音楽
4 二重に搾取されるブラック・ミュージック
5 二重の搾取に抗して
6 資本主義と人種
Ⅴ 「Jポップ」の時代
1 音楽は本当に危機なのか?
2 九〇年代の音楽産業のバブル景気的成長
3 ミリオンセラーの増加と音楽のファミリーレストラン化
4 Jポップの形成期の「シブヤ系」
5 新自由主義とフリーターの九〇年代
6 インディーズのオーバーグラウンド化
Ⅵ 「ポスト・Jポップ」の風景
1 アイドルのCDチャート寡占時代
2 モーニング娘。からAKB48へ
3 オタク的消費のメインストリーム化
4 パッケージからライヴとマーチャンダイジングのビジネスヘ
5 アイドルやアーティストは、今何を生み出しているのか?
6 生産的な消費と消費的な生産
Ⅶ ムシカ・プラクティカ――実践する音楽
1 実践する音楽
2 DJカルチャーとDiYカルチャー
3 デジタル時代のDiY実践
4 日本のDiYカルチャー――音楽の贈与経済へ
5 福岡の音楽実践――ミュージック・シティ・天神
6 再びポピュラー音楽ということ
あとがき