Monday, May 20, 2013
侵略の定義について(1)
安倍晋三首相の「侵略の定義はない。どちらから見るかで違う」という、日本の侵略を否定するための発言が世界を駆け巡った。欧米メディアだけではなく、アメリカ政府も反発する姿勢を示した途端、安倍首相は「日本が侵略していないとは一言も言っていない」と弁解をして、見事に膝を屈した。だったら最初からバカなことを言わなければいいのだが、内心では「侵略ではなかった」と叫んでいるのだろう。「村山談話を継承する」と言わざるをえなくなったが、それでも「21世紀の新しい談話を」と追加するのを忘れないのは、何が何でも村山談話を葬り去りたいということだろう。それはともかく、「侵略の定義」については、安倍首相の嘘をきちんと確認しておく必要がある。マスメディアでは、安倍発言ばかりがクローズアップされた。まともな国際法学者は、安倍首相のあまりの無知に呆れて、ほとんどコメントしない。まともな学者が沈黙するのも当然で、国連総会の「侵略の定義」決議(1974年)がある。もっとも、それを指摘しても、安倍首相とその取り巻きは同じ虚偽を言い続けるだろう。それはなぜか。その点も少し考えてみたい。また、この間のメディアを見ていると、初歩的知識のない人間が大声で事実に反する主張をしている。首相が率先しているためもあり、誤った認識が広められている。そこで、今回から「侵略の定義について」と題して数回、関連情報をアップすることにした。なお、主要な内容は、前田朗『侵略と抵抗』(青木書店、2005年)に書いた。
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侵略の定義は何かを論じる前に、確認しておくべきことがある。というのも、安部首相は「侵略の定義はない。まとまっていない」と言うが、侵略の定義を明らかにすることを考えているわけではない。日本の侵略をごまかすことが目的である。だから、本当に定義があるかないかを問題にしているのではない。この点を見ておかないと、議論が混乱する。重要なのは、「さまざまな侵略の定義があったとして、それらのどの定義を採用しても、日本の侵略は明らか」と言うことだ。