Saturday, April 05, 2014
現代彫刻の読み方を学ぶ
藤井匡『現代彫刻の方法』(美学出版、2014年)
橋本真之、多田圭三、畠山典江、岩間弘、留守玲、高澤そよか、神代良明、飯島浩二、角文平、久保田弘成、橘宣行、タムラサトル、林武史、西雅秋、岡本敦生、鷲見和紀郎、村井進吾、戸田裕介、寺田武弘、秋山陽、前田哲明、金沢健一、青木野枝、前川義春、丸山冨之、土屋公雄、向井良吉、建畠覚造、倉貫徹・・・
現代彫刻、特に野外彫刻を「方法」という視点から読み解く試みである。著者は学芸員だが、私は素人鑑賞者なので、専門的な「方法」よりも、鑑賞者の立場への言及を気に留めながら読んだ。
「展覧会という場において、制作者と鑑賞者は作品のコンセプトという同じものを見ている。一応はそう考えることができるとして、鑑賞者が制作者の『方法』を見出すとすれば、それは制作者と同じ順序ではあり得ない。鑑賞者は、提示された作品から変容の過程を“読む”ことになる。それは、制作者が関与した時間を想像力によって遡行する行為に他ならない。このようなコミュニケーションのあり方こそが、『方法』を見るという意味だと考えることができる。」
「鑑賞者による完成作品から素材への『方法』を読む遡行が可能となるためには、完成作品の内に原初的な素材の姿が残存していなければならない。もし、制作者の行為が無価値な素材から結うカチな芸術を創造する錬金術的なものと考えるならば、この条件は成立しない。つまり、制作者の行為とは、素材とは異質なものを創出すること(A→B)ではなく、あえて言うならば、素材の変換作業(A→A´)となる。逆にいえば、作品の内側に素材の姿を明瞭に確認できるからこそ、素材を論じることが作品を論じることに直結するのである。」
現代アートはわからない。「わからないもの」が現代アートという名称の下に世に送り出されている、といった程度の認識しか持たない私には、現代彫刻を見る時も、素材や方法を考えてみるということはあまりなかったように思う。直接目に見えている作品が、目に見えている物それ自体ではなく、作家の思念の中の何かを表そうとしている。現に見えているものとは違った何か。それを想像しながら見てきたように思う。目に見える通りのものを見ればよいのなら、現代彫刻、現代アートである理由がないという初歩的決めつけが先にある。
本書を通じて、さまざまな作家の現代彫刻に向かう姿勢、方法意識、素材との格闘、自分との格闘、社会認識を見ると、作家の世界観の一端をそれなりに読み取れれば、おそらく素人鑑賞者としては合格かな、と感じた。
著者は同僚である。九州大学文学部哲学科美学美術史研究室、宇部市役所学芸員、フリーランス学芸員を経て、東京造形大学准教授。