Tuesday, April 29, 2014
大江健三郎を読み直す(16)大江文学における在日朝鮮人
大江健三郎『叫び声』(講談社文芸文庫、1990年[講談社、1968年])
今回読み直して、初読時に無知ゆえに重要な読み落としをしていたことが分かった。これでは読んだことにならない、というレベルだ。主要登場人物の呉鷹男は、父親が朝鮮人、母親が日本人であり、後半で事件を起こして死刑を言い渡される。言うまでもなく小松川事件の李珍宇がモデルだが、そのことを初読時、大学一年生だったと思うが、私は知らなかった。
大江作品には『芽むしり仔撃ち』にも四国の山の中の朝鮮人が登場し、本書には呉鷹男が登場するのに、私は大江作品における朝鮮人の存在とその意味についてほとんど意識していなかった。理由は簡単だ。当時、在日朝鮮人の歴史と現実について無知だったからだ。札幌郊外に生まれ、高度成長期に少年時代を過ごした私は、札幌市内に朝鮮学校が存在することをいちおう知ってはいたが、自宅からは遠い、その朝鮮学校周辺に行ったこともなく、朝鮮学校生徒を見たこともなかった。
1972年に李恢成が『砧をうつ女』で芥川賞を受賞した時、私は高校2年生だったが、作品を読んでいない。大学生になってようやく読んだ。私のウェブサイトのプロフィルには次のように書いている。
「大学時代は、五木、野坂、生島、藤本、半村や、清岡、三木、庄司、古山、森等々が颯爽と活躍していたため、小説を読みふけっていた。当時は<ノンセクト・アンチラディカル温泉派>と称して、伊豆の温泉で遊んでいた。そうした中、李恢成がたまたま高校の先輩ということもあって、『砧をうつ女』『見果てぬ夢』など、よく読んだ。金大中事件の衝撃とともに、「朝鮮問題」と呼ばれる「日本問題」に徐々に目覚めていった。もっとも、日比谷公園で開かれた集会にほんの数回顔を出しただけで、運動には加わっていない。」
大江の『叫び声』を読んだ時には、その意味を理解できなかった。その後まもなく『砧をうつ女』をはじめとする李恢成作品を読みふけったのだから、その時に気付くべきだった。気付かなかったのは凡庸だったからというしかない。
「青春小説」と呼ぶにはいささか奇妙な、しかし、青春の夢と挫折を描いたに違いない『叫び声』執筆時期について、大江は「自分はこの時期をよく生き延びることができた」と感慨を述べている。『芽むしり仔撃ち』から『叫び声』まで、24歳から27歳までが「人生の難所」だったという。60年安保闘争の時期でもあり、大江自身が文学の主題を模索していた時期でもある。1964年の『個人的な体験』、1965年の『厳粛な綱渡り』と『ヒロシマ・ノート』で主題を確立し、1967年の『万延元年のフットボール』に飛躍するまでの、長い助走期間でもあっただろう。