田原 牧『ジャスミンの残り香――「アラブの春」が変えたもの』(集英社)
アラブ報道に携わって来た著者の『中東民衆革命の真実』(集英社新書)に続くルポで、開高健ノンフィクション賞受賞作。タハリール広場から波及した「アラブの春」の顛末を追いかけ、「すべては徒労だったのか」と問い、中東各地を歩く。同時に、ジャスミン革命と紫陽花革命を対比して、日本の現状を問い返す。3.11後の紫陽花革命はどこへ行ったのか、と。
しかし、著者は諦念や断念を表明しているわけではない。終章は「強さ」という表題を与えられる。かつてカイロ・アメリカン大学に留学したときの恩師ラグダ・エサーウィとの対話を通じて、「そもそも革命の勝利とは、何をもって勝ちといえるのか。そして、動揺にどうなることが敗北なのか。それをわけ隔てるものは何なのか。出口のない禅問答にはまり込んでいた。」という。問いをもって問いに答えることが、単に逃げになることではなく、問い方の変遷を積み重ねることで何を拾い出すのか。ラグダの言葉は「あの日からエジプト人たちは変わった。エジプト人であることを誇りに思えるようになった」。権力ではなく、一人ひとりの民衆が変わった。それゆえ著者は述べる。
「ジャスミンと紫陽花という二つの『革命』と称されたデモの違いは、単純に流された血の量や参加者の決意の深さだけではなかったのだろう。人びとがその季節を潜り抜けて、自身をどう変えていったのかにも大きな隔たりが生じていたのではないか。エジプト人たちの変化は、三年前にタハリール広場にしたたった滴が、社会という土壌に時間をかけて浸透していった結果のように私の目には映った。」
「革命観を変えるべきだ、と旅の最中に思い至った。不条理をまかり通らせない社会の底力。それを保つには、不服従を貫ける自立した人間があらゆるところに潜んでいなければならない。権力の移行としての革命よりも、民衆の間で醸成される永久の不服従という精神の蓄積こそが最も価値のあるものと感じていた。」