Friday, February 27, 2015

大阪市ヘイト・スピーチ審議会答申を読む(2)

 大阪市ヘイト・スピーチ審議会答申を読む(2)

1 「基本的な考え方」について

1-1 「基本的な考え方」の構成

答申の「Ⅰ 基本的な考え方」は次のような構成である。

基本的な考え方
(1) 対象者
属性
範囲
(2) 目的
(3) 表現の内容及び場所・方法
1-2 基本認識と姿勢

まず気が付くのは、「1 目的」の前に、検討部会報告にはなかった次の8行ほどの文章が置かれていることである。
「特定の民族や国籍の人々を排斥する差別的な言動がいわゆるヘイト・スピーチであるとして社会的関心を集めているが、こうした言動は、人々に不安感や嫌悪感を与えるだけでなく、人としての尊厳を傷つけ、差別意識を生じさせることにつながりかねないものである。/大阪市では、在日韓国・朝鮮人をはじめ多くの外国人が居住している中、市内において現実にヘイト・スピーチが行われているといった状況にあり、大阪市は、市民の人権を擁護すべき基礎自治体として、ヘイト・スピーチに対して独自で可能な方策をとることで、ヘイト・スピーチは許さないという姿勢を明確に示していくことが必要である。」
重要なのは、ヘイト・スピーチが「人としての尊厳を傷つけ、差別意識を生じさせることにつながりかねないものである」という認識、②「市内において現実にヘイト・スピーチが行われているといった状況」認識、③「ヘイト・スピーチは許さないという姿勢を明確に示していくことが必要である」という認識である。
検討部会報告にはこうした基本姿勢の表明がなかったので疑問を指摘しようと考えていたところ、答申は基本姿勢を明示した。検討部会報告に対する市民やメディアからの反応を踏まえたものであろうか。とりわけ、1月29日には市民から「ヘイト・スピーチの規制に関する条例(案)」が提出されるなど、「ヘイト・スピーチを許さないという姿勢」を示す必要性をいっそう強く感じさせることになったものかもしれない。答申がこのような基本姿勢を表明したことは高く評価できる。こうした姿勢の表明が答申の内容にどのように活かされているのかが注目される。

1-3 目的

 答申はその目的を「市民等の人権擁護」とし、「基礎自治体である大阪市がヘイト・スピーチに関して方策をとる目的については、ヘイト・スピーチにより被害を受けた市民又は市民の属する集団(以下「市民等」という。)の擁護とするのが適当である」とする。
 その説明として、「基礎自治体である大阪市がヘイト・スピーチに関して方策をとる目的については、『大阪市人権尊重の社会づくり条例』に基づき人権尊重の社会づくりを推進している現状を踏まえ、ヘイト・スピーチを行っている者(以下「表現発信者」という。)に対する義務付けその他の規制をするという観点よりも、市民等の人権を擁護するという観点からの仕組みづくりを基本とするのが適当である。」とする。
 疑問点を2つ指摘しておこう。

 第1に、2000年4月1日施行の大阪市人権尊重の社会づくり条例には、その前文に「社会的身分、門地、人種、民族、信条、性別、障害があること等に起因する人権に関する様々な課題が存在して」いるとの認識を示しつつも、第2条では「市の責務」として「本市は、すべての人の人権が尊重される社会を実現するため、国及び大阪府との連携を図りながら、市政のあらゆる分野において必要な施策を積極的に推進するものとする」と記述するにとどまる。つまり、同条例は人種差別・民族差別を予防・抑止するとか、差別が行われた際の責任を明らかにすることまでを含んでいない。同条例が人種差別・民族差別を撤廃するための政治意思や措置を含んでいないとすれば、同条例を前提にして、人種差別・民族差別の中の悪質な現象であるヘイト・スピーチに果たして的確に対処できるであろうか。

 第2に、「ヘイト・スピーチを行っている者(以下「表現発信者」という。)に対する義務付けその他の規制をするという観点よりも、市民等の人権を擁護するという観点からの仕組みづくりを基本とするのが適当である」と言うが、答申は人種差別撤廃条約第2条をどのように理解しているのであろうか。
日本政府が批准している人種差別撤廃条約第2条第1項は「締約国は、人種差別を非難し、また、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策及びあらゆる人種間の理解を促進する政策をすべての適当な方法により遅滞なくとることを約束する」としたうえで、(a)(d)で次のように述べている。
「(a)各締約国は、個人、集団又は団体に対する人種差別の行為又は慣行に従事しないこと並びに国及び地方のすべての公の当局及び機関がこの義務に従って行動するよう確保することを約束する」。
「(d)各締約国は、すべての適当な方法(状況により必要とされるときは、立法を含む。)により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別も禁止し、終了させる」。
「地方のすべての公の当局」、それゆえ大阪市には「すべての適当な方法により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別も禁止し、終了させる」義務に従って行動することが求められるのではないだろうか。ヘイト・スピーチは人種差別撤廃条約第1条が定義する「人種差別」の一つではないのだろうか。このように考えれば、「ヘイト・スピーチを行っている者に対する義務付けその他の規制をするという観点」を軽視する答申には疑問が残る。
 このことは検討部会報告の「はじめに」において、人種差別撤廃条約第4条(a)(b)の適用を日本政府が留保している事だけに注目し、日本政府が人種差別撤廃条約を批准したこと、条約第1条が人種差別の定義を行っていること、条約第2条が政府(地方政府も含む)の責務を定めていることに無関心であったことと関連する。
 条約第2条が地方政府の責務を定めているとしても、条約の履行を約束したのは中央政府であり、地方政府にはその限りでの条約尊重が求められるに過ぎない。すなわち、日本政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書の審査に際して、人種差別撤廃委員会から質問を受けるとか、勧告を受ける時に、地方政府に関する事項も取り上げられるという意味である。地方政府の行政すべてに直ちに条約が適用されるという趣旨ではない。
 とはいえ、大阪市は、大阪市人権尊重の社会づくり条例を制定しているのであるから、その解釈・適用にあたって人種差別撤廃条約の条項を参照することは可能である。まして、大阪市人権尊重の社会づくり条例前文は国際社会における人権尊重の潮流を積極的に受け止めることを表明していたのである。
 検討部会報告が明記していた「人種差別撤廃条約第4条(a)項・(b)項を政府が留保している状況」という文言を答申は削除した。それと同時に、答申は人種差別撤廃条約への言及そのものを消してしまった。国際自由権規約第20条2項への言及もない。地方自治体の答申において条約に言及することで、余計な理論的問題を検討しなければならなくなる煩雑さを避ける趣旨であろうか。それとも、人種差別にしっかりと向き合って、これに対処する姿勢を持っていないことの現れであろうか。
 
1-4 定義

 答申は「定義」として次のように述べている。
 「ヘイト・スピーチの定義
ヘイト・スピーチの定義については、次の(1)から(3)までの要件の全てに該当する表現行為とすることが適当である
(1) 対象者
 人種又は民族に係る特定の属性を有する個人又は集団
(2) 目的
 目的が次のいずれかであること
社会からの排除を目的とするものであること
権利・自由の制限を目的とするものであること
明らかに憎悪若しくは差別の意識又は暴力を扇動することを目的とするものであること
(3) 表現の内容及び場所・方法
表現内容が対象者を相当程度侮蔑し若しくは誹謗中傷するもの又は対象者に脅威を感じさせるものであり、かつ、一般聴衆が受動的に内容を知りうるような場所や方法によって表現されるものであること」
 いくつか順不同でコメントしておこう。

 第1に、ヘイト・スピーチの定義を正面から掲げる努力を行ったことは高く評価できる。答申を行うのであるからヘイト・スピーチを定義しなければならないことは当たり前のことであるが、これまでヘイト・スピーチには明確で共有された法的定義がないことが知られている。
ヘイト・スピーチという用語を使うかどうか注目された京都朝鮮学校襲撃事件民事訴訟一審の京都地裁判決及び二審の大阪高裁判決がヘイト・スピーチという言葉を用いなかったのは、私の考えでは、判決においてこの言葉を使うためにはそれなりの定義を示す必要があり、確定的な法的定義がない現状であえてこの言葉を示して、定義論争に入り込むことは事案の解決にとってメリットがないと判断されたためであろうと思う。
 また、私が調べた限りでは、国際社会における100か国以上の刑事立法において人種的優越性の主張の処罰や、差別の煽動の処罰規定があり、いずれもヘイト・スピーチ規定と理解されているが、実は法文上はヘイト・スピーチという文言は使われていない。英米にはヘイト・クライム法はあるが、ヘイト・スピーチ法と称する法律はない。
 人種差別撤廃委員会が2013年9月に採択した一般的勧告第35号は「人種主義的ヘイト・スピーチと闘う」というタイトルを掲げているが、それ以外の多くの国際文書においても、(この言葉は随所で使われているとはいえ)キーワードとして、あるいは法律用語として定着しているとは言えない。
 こうした現状を前に、答申はあえてヘイト・スピーチを定義する。地方自治体における初めての答申が、定義困難を理由に定義を回避するのではなく、一定の定義を提示して見せたことは評価できる。

 第2に、定義の内容である。答申は、(1) 対象者、(2) 目的、(3) 表現の内容及び場所・方法の3つを示し、「(1)から(3)までの要件の全てに該当する表現行為」としている。ただちに、いくつかの疑問が浮かぶ。まず重要なのは「表現行為」という規定である。ヘイト・スピーチをどのように訳すかも確定的ではないが、憎悪表現とするにせよ差別煽動表現とするにせよ、スピーチであるから言論なり表現なりの文言を使うことになるのは当然と言えば当然である。しかし、この間、ヘイト・スピーチについて議論する際に必ず引き合いに出されている京都朝鮮学校襲撃事件は「表現」だろうか。確かに「表現」も含まれるが、実行行為者たちの一連の行動は「表現」ではなく、「表現をも含んだ差別、威嚇、暴力」であった。刑事事件では威力業務妨害罪と器物損壊罪の有罪が確定している。ヘイト・クライムトヘイト・スピーチの関係をどう理解するかについても必ずしも国際的な共通理解ができ上がっているわけではないが、私の考えでは、ヘイト・スピーチは「ヘイト」という重要な特質においてヘイト・クライムと共通の実行行為であって、ヘイト・クライムの一部を成す。「ヘイト・クライムとしてのヘイト・スピーチ」である。私見とは異なって、ヘイト・クライムトヘイト・スピーチを別物として切り離す見解もある。そこではヘイト・スピーチを純粋に表現行為とする理解にも根拠がありうるかもしれない。しかし、人種差別撤廃条約第4条(a)が掲げる行為類型から言って、ヘイト・スピーチを差別表現だけに収斂させることは説得力がないと言うべきであろう。
 答申は「ヘイト・スピーチの定義としては、演説などの発言行為に限定するのではなく、出版、寄投稿、インターネットの動画サイトへの掲載、示威行動、掲出、頒布その他一切の『表現行為』」として、示威行動を例に挙げているので全く無頓着と言うわけではないが、「その他一切の表現行為」が「表現を含みさえすればすべて該当するのか」について言及がない。
 以上のことは、答申の定義がヘイト・スピーチを「(1)から(3)までの要件の全てに該当する表現行為」としつつ、人種差別撤廃条約第4条(a)が提示する4つの行為類型に即した議論を経ていないことにも関連する。答申の定義はヘイト・スピーチを単一の表現行為として規定している(目的に応じた区分けについては後述)。しかし、人種差別撤廃条約や世界の立法例を見る限り、ヘイト・スピーチは単一の行為ではなく、実に多様な行為類型を含む。例えば、「ジェノサイドの煽動」や「人道に対する罪としての迫害」の一部の行為はヘイト・スピーチの極限形態と言える。ヘイト・スピーチは、単なる名誉毀損類型や差別表現にとどまらない。答申はこうした点の検討を怠ったのではないだろうか。「ヘイト・スピーチは表現である」という過度に単純化した思考ではヘイト・スピーチに対処することはできないのではないだろうか。 
 第3に、対象者について、答申は「人種又は民族に係る特定の属性を有する個人又は集団」としている。検討部会報告では「『人権侵害を受けた市民等の擁護』という目的からすると、その対象は人種、民族による差別に限定されるものではないが、大阪市内でヘイト・スピーチが行われている現実を踏まえ早急に具体的な方策を講じていくことが求められて」いるので、まずは人種と民族から始めると述べられていた。答申は同じことを述べつつ、ヘイト・スピーチの対象者について「属性」と「範囲」に分けて概説している。
(1)「属性」としているのは、国際的な立法例では一般に犯行の動機、差別の原因として示されていることと同じである。「人種、民族、国民的出身、宗教などを動機として」といった立法例が知られる。動機としては言語、宗教、政治的意見、性別、ジェンダー・アイデンティティ等々があるが、答申が、当面は人種と民族から始めると言うのは理解できないことではない。
(2)次に「範囲」であるが、答申は「特定の個人に向けられたものだけではなく、一定の集団に属する者全体に向けられたものについても、名誉毀損などの特定人の具体的な損害が認められるか否かを問わず対象とすることが適当である」とする。個人のみならず集団をも対象に含んでいるのは高く評価できる。ヘイト・スピーチに対処するには必須の事項だからである。日本刑法では名誉毀損罪にしても侮辱罪にしても個人だけが被害者になりうると解釈されているため、個人を直接標的としていない場合に立件することができないとされてきた。この点、答申は、刑事事件としてではなく、行政措置を講じるための前提として、「範囲」を個人だけでなく集団に広げている。

第4に、目的である。検討部会報告は、「意図・目的」として「社会からの排除や権利・自由の制限、又は明らかに憎悪若しくは差別を煽動することを目的とする表現行為」としていた。答申はこれを再整理して、アイウの3つの目的を列挙した。これは限定的列挙であろう。答申は「目的については、憲法上保障されている表現の自由との関係を考慮して単なる批判や非難は対象外と」すると述べ、アイウの場合は憲法上細法されている表現の自由を考慮しても、一定の措置の対象とすることが許されるとしている。この点も高く評価すべきである。「表現の自由」と言って思考停止してきたこれまでの議論と異なり、答申は、何が表現の自由として保障されるべきであるのかを的確に判断しようとした。なお、ここでも検討すべき課題がいくつも浮かび上がる。
(1)まず、検討部会報告は「意図・目的』としていたのを、答申は「目的」に絞った。その理由は示されていないが、「意図」については、2001年の人種差別撤廃委員会における日本政府報告書審査に際して注目が集まった。その前年に石原慎太郎・東京都知事(当時)が行った「三国人」発言が人種差別撤廃委員会の関心を引いた。その際、日本政府は「石原都知事には差別を煽動する意図がなかった」という弁明・用語をして、人種差別撤廃委員会を驚かせた。委員会は「意図の有無と差別の煽動の成否は関係ない」という立場を明示した。「意図がなければ差別発言をしてもよい」などという解釈は到底受け入れられない。答申がこのことを踏まえて「意図」を削除したのであれば、評価に値する。
(2)次に「目的」である。答申の立場はヘイト・スピーチを「目的犯」類型と構成するものである。検討部会報告がすでにこの立場を採用していたので、答申は意図を削除しつつ目的に絞ったようである。しかし、疑問である。国際自由権規約第20条2項も人種差別撤廃条約第4条も、ヘイト・スピーチを目的犯とはしていない。差別の唱道や差別の煽動が行われればヘイト・スピーチが成立する。差別の唱道の目的や差別の煽動の目的があって初めて成立するのではない。目的犯とすると、実行行為者が当該目的を有していたことを刑事裁判において検察側が立証する必要が出てくる。実際には状況証拠や実行行為の内容から言って、実行行為者に当該目的があったことが明白な場合が多いだろうが、そうではない事案では目的犯とすることによって実行行為者(被告人)の弁明に過度に広い余地を与えることになる。それゆえ、世界の大半の刑事立法はヘイト・スピーチを端的に行為犯(ただし結果なり具体的危険の発生を要することが多い)としている。答申はヘイト・スピーチを刑事犯罪としないのであるから、わざわざ目的による縛りをかける必要はないのではないか。実行行為者の主観面である目的による分類は多様な解釈の余地を残すので、むしろ実行行為の客観的分類を行うべきであったのではないだろうか。

 第5に、答申は「表現の内容及び場所・方法」として、「表現内容が対象者を相当程度侮蔑し若しくは誹謗中傷するもの又は対象者に脅威を感じさせるものであり、かつ、一般聴衆が受動的に内容を知りうるような場所や方法によって表現されるものであること」を掲げる。
(1)前段の「表現内容が対象者を相当程度侮蔑し若しくは誹謗中傷するもの又は対象者に脅威を感じさせるものであり」を掲げている点は理解できるが、次のような疑問も浮かばないわけではない。「表現内容が対象者を相当程度侮蔑し若しくは誹謗中傷するもの」であるならば、侮蔑罪や名誉棄損罪が成立するのではないか。少なくともこれらが成立する場合が含まれるのではないか。そうであれば、その場合に大阪市としてとるべき措置は何なのかを明示するべきであったのに、それが示されていない。「『相当程度』の判断基準を明確に規定することは困難であり抽象的な表現とならざるを得ず、個別の事案ごとに判断することになる」としているので、個別判断を待つしかないのだろうか。
(2)後段の「一般聴衆が受動的に内容を知りうるような場所や方法によって表現されるものであること」に言う「受動的」とは何を意味するのであろうか。従来の法的思考では、名誉毀損罪や公然わいせつ物陳列罪などにおける「公然性」の要件の下で考えられてきたものを、「受動的に内容を知りうる」に変更する実質的理由が示されていない。答申は「表現の場所や方法については、公共の場所での表現行為と不特定多数の者の閲覧に供する行為等が考えられる」として、「公共の場所(道路、公園、施設等)での表現行為」(集団示威運動、街宣、ビラの配布、ポスター、幕等の掲出)、「不特定多数の者の閲覧に供する行為等」(新聞、雑誌への掲載、インターネット動画サイトなどへの掲載、DVD等記録媒体の配布)を例示しているが、これらは従来からの公然性の要件(不特定多数)と変わらないのではないだろうか。ここで論じるべきは、インターネットへのアクセス行為である。「受動的」という文言は削除してもよいのではないだろうか。
 なお、国連人権高等弁務官事務所主導で作成された「ラバト行動計画」の準備過程におけるウィーン・セミナーで調査報告によると、欧州のヘイト・スピーチ規定のほとんどすべてが公然性を要件としている。ただし、フランス、ノルウェーなど一部であるが公然性を要件としない刑罰規定も登場している。

(3)答申は「なお、会員のみ参加できる集会など、限定した参加者に向けた表現行為は対象外であり、一般聴衆が受動的に発信内容を知りうる状態にあるかが判断の基本となるが、具体的には個別の事案ごとに判断する必要がある」としている。一見するともっともな判断であるが、これで近時のヘイト・スピーチの現実に対処できるかは疑問が残る(この点は公共施設利用問題の箇所で再論する)。