大江健三郎『広島からオイロシマへ』(岩波ブックレット、1982年)
岩波ブックレットNo.4である。No.1は核戦争の危機を訴える文学者の声明『反核』、No.2は豊田利幸『核戦略の曲り角』。本書は1982年、大江がヨーロッパの反核・平和運動を訪問した記録である。3月21日に広島・平和公園での平和のタメノヒロシマ行動に参加し、それから欧州へ向かった大江は、米ソの核軍拡競争が激化した時期に、オーストリア、ドイツ、スイスの反核運動を訪れて、講演し、同時に取材をした。その1週間ほどの旅の記録である。日本では反ソ大宣伝が猛烈に行われていたが、西欧では、アメリカより、ソ連寄りも含めて、核戦争の危機に直面した市民の反核運動が高まっていた。ウィーン、ハンブルク、フライブルク、バーゼル、フランクフルト、ベルリンでの出会いと語らいと思索である。
33年後の現在、本書を読むことはいかなる意味があるだろうか。ソ連東欧社会主義圏が崩壊し、東西対立が過去のものとなり、グローバリゼーションが世界を席巻し、「文明の対立」が語られる最中、西側大国によるアジアやアラブ圏への一方的なぶり殺し戦争が続いている。核兵器ではなく、「通常兵器」に加えて、無人機をはじめとする新型兵器が縦横無尽に活用されている。生物兵器禁止条約と化学兵器禁止条約が成立したものの、核兵器禁止条約は成立していない。核兵器保有国は5大国に加えて、イスラエル、インド、パキスタン、朝鮮などに広がり、核不拡散体制はほころびを拡げている。日本は原発体制の維持を図るとともに、核武装への夢を追及する政治屋がはびこっている。いかなる核兵器も許さず、核廃絶を実現するための運動は、しかし、世界的には低調にも見える。3.11以後の脱原発と核廃絶の運動課題をどのように進めていくのか。その手立てを考えるために、異なる状況での運動の分断を回避するための大江の歩みを参考にすることができるだろうか。3.11以後、脱原発の先頭に立ち続ける大江の行動を、より長いスパンの中で評価し直すことが必要である。