Saturday, February 28, 2015

テロリズムとファシズムの内部抗争

*「拡散する精神/委縮する表現(47)」
*『マスコミ市民』2015年2月号掲載(1月20日執筆)

テロリズムとファシズムの内部抗争

 「私はシャルリだ。表現の自由を守れ。あらゆるテロを許すな」――一月のパリで、リヨンで、マルセーユで、三〇〇万人の熱狂が燃えたぎった。
 一月七日、風刺週刊誌『シャルリ・エブド』襲撃事件に端を発するテロ事件で一七人の市民・ジャーナリストが亡くなった。事件に巻き込まれた人々、その家族・友人たちの深い悲しみははかり知れない。
 それでは「あらゆるテロを許すな」というパリの叫びはホンモノだろうか、ニセモノだろうか。前提となるべき事実を確認してみよう。
 第一に、西側先進諸国はこの十数年にわたってアフガニスタン、イラク、シリア等に空爆を行い数十万人のイスラム教徒を殺害し、数知れぬ難民を生みだしてきた。二〇〇三年のイラク攻撃に反対したフランスだが、二〇一三年にはマリ共和国で軍事作戦を展開し、現在は「イスラム国」に空爆を続けている。
 第二に、西側諸国にイスラモフォビアが蔓延し、イスラム教徒に対する差別が続いている。イスラム教徒はフランス国籍であっても二級市民の扱いを受け続けている。スカーフ禁止問題に見られるようにイスラムの文化に対する差別はあからさまである。
 第三に、今回の発端はマホメットをポルノ仕立てにした揶揄と伝えられている。だからと言ってテロ事件が正当化されるはずがないが、「殺人」だから非難されるべきであって、「表現の自由に対するテロ」などと言えるかどうかは慎重な検討が必要である。日本のマスコミも無条件に「表現の自由」と唱え、風刺漫画家を英雄扱いしている。しかし、宗教的動機に基づくヘイト・スピーチを犯罪としている国はいくつもある。イスラム攻撃を長年続けてきた『シャルリ・エブド』にはフランス政府から「自粛要請」が出されていたという報道もある。それにもかかわらず「挑発」を続けてきたのである。
 第四に、デモを呼びかけ、先頭に立ったのは誰か。「イスラム国」爆撃を指示したオランド大統領をはじめ、イギリス、ドイツ等の政治指導者である。
 安倍晋三首相はオランド大統領にあてて次のようなメッセージを送った。
パリで発生した銃撃テロ事件により、多数の死傷者が出たとの報に接し、大きな衝撃と憤りを禁じ得ません。このような卑劣なテロは如何なる理由でも許されず、断固として非難します。ここに日本国政府及び日本国民を代表し、全ての犠牲者及びその御家族の方々に心から哀悼の意を表すると共に、負傷者の方々に心からお見舞い申し上げます。この困難な時に、日本はフランスと共にあります」(外務省ウェブサイト)
 このメッセージによって安倍首相はオランド、オバマ、キャメロン、メルケルとともに「表現の自由」を守り、テロを許さない立場を国際社会に示した。
 しかし、アフガニスタン、イラク、シリア等への空爆と大量殺戮を非難することはなく、むしろ積極的に支持し、加担してきたのが安倍首相ではないだろうか。
 グローバル・ファシズムが世界を席巻し、軍需産業とその代理人が壟断している現在、権力者が言う「表現の自由」とは、戦争と略奪の自由であり、国家テロの開き直りにすぎない。「新植民地主義」と他者に対する侮蔑が手を携えている。マスコミが唱える「表現の自由」とは差別表現の自由であり、マイノリティに対する侮辱でしかない。イスラムに対する侮辱常習犯の『シャルリ・エブド』が果たしてフランス政治権力をどれだけチェックしてきただろうか。オランド等とともに「テロを許すな」と合唱する体制翼賛マスコミは何を守ろうとしているのか。
「あらゆるテロを許すな」と叫ぶマスコミは長年にわたって国家テロに加担してきたのではないか。
 「私はシャルリだ」と叫ぶことは「これからもマホメットを侮辱し、イスラムを貶めよう」と言っているのと、どこが違うのだろうか。

自由の名による抑圧、平和の名による空爆が強行されている世界で、三〇〇万人の熱狂が自由と民主主義の墓掘り人にならない保証はどこにもないだろう。