Sunday, February 08, 2015

ヘイト・スピーチ研究文献(9の2)現代法における人間の尊厳

塚田哲之「表現の自由とヘイト・スピーチ」『人権と部落問題』867号(2015年)

塚田論文には不可解な記述が少なくない。今回は「人間の尊厳」について指摘しておこう。
塚田は、ヘイト・スピーチの刑事規制を求める見解を批判して、次のように述べている。
「ナチズムという過酷な歴史的経験に支えられ、それゆえに『たたかう民主制』とも結びつく『人間の尊厳』[ドイツ基本法1条1項]と『個人の尊重』とは必ずしも同一でないことにも留意が求められよう。」(21頁)
(1)塚田が本文で述べているのは、個人の利益を保護することと集団の利益を保護することの差異をいかに考えるべきかと言う論点である。私の理解は塚田の理解とは異なるが、ここではその点を取り上げない。議論以前の基礎知識を確認することが重要だからである。
(2)上記の引用箇所で塚田が述べているのは、ヘイト・スピーチの刑事規制に関して人間の尊厳を保護すると見る見解に対して、人間の尊厳はドイツの歴史に由来する特殊な意味を持つ概念であって、日本国憲法の個人の尊重とは異なる、ということである。日本国憲法の個人の尊重とドイツ基本法の人間の尊厳が同じ意味合いを有するか否かについては多様な理解がある。ドイツ基本法の人間の尊厳が、ナチス・ドイツの歴史や、東西ドイツの分断と言う歴史に関連して形成・発展させられた概念であることは確かであり、塚田の指摘はその限りで正しい。
(3)ところで、なぜ、ドイツ基本法なのか。塚田がドイツ基本法に言及しているのはこの箇所だけであり、他では一度も言及していない。
塚田がここで批判しているのは、(本文では批判対象を明示していないが)金尚均(龍谷大学教授、刑法学)の見解である。たしかに金はドイツ刑法における民衆煽動罪を研究して、ヘイト・スピーチについて論じている。しかし、金は人間の尊厳を根拠としていない。金は、ヘイト・スピーチの保護法益を社会的法益としているからである。
他方、楠本孝(三重短期大学教授、刑法学)がドイツ民衆煽動罪を研究し、かつ人間の尊厳に焦点を当てている。塚田の批判が向けられているのは楠本説であろうか(塚田は批判対象を明示していないので判然としない)。
(4)ドイツ刑法の民衆煽動罪にはたしかに「人間の尊厳」という言葉が含まれていた。それゆえ、ドイツ刑法学においても人間の尊厳をめぐる議論がなされていた。しかし、実は刑法改正によって民衆煽動罪規定の一部から人間の尊厳概念は削除された。それゆえ、楠本はなぜ人間の尊厳が削除されたのか、削除されたことによって民衆煽動罪の理解はどう変わったのかについても検討している。塚田はその点をどう考えているのだろうか。
(5)再び問うが、なぜ、ドイツ基本法なのか。人間の尊厳概念が重要だとすれば、ドイツ基本法に限定する理由はどこにもないのではないか。人間の尊厳はドイツ固有の概念ではなく、現代法における基本概念ではないだろうか。
(6)1945年の国連憲章前文は次のように始まる。
「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し・・・」
人間の尊厳は1945年の国連憲章冒頭に掲げられた概念である。1949年のドイツ基本法(ボン基本法)で登場した概念ではない。
(7)1948年の世界人権宣言は、その前文において「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」としたうえで、「国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認」と引用し、第1条は「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」としている。
(8)女性差別撤廃条約前文では2度にわたって人間の尊厳に言及し、拷問等禁止条約前文は「人間の固有の尊厳」、子どもの権利条約(児童権利条約)前文は「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳」「人間の尊厳」、障害者権利条約は「固有の尊厳」に言及している。つまり、人間の尊厳は国際人権法の基本概念である。
(9)次に各国の憲法はどうであろうか。
クウェート憲法第29条は「すべての人民は、人間の尊厳において及び法の前の公的権利と義務において平等であり、人種、出身、言語又は宗教に関して差別されない」とする。
タイ憲法は人間の尊厳と権利を保障し、諸個人及びコミュニティに文化や伝統を維持する権利の促進を定める。
国連憲章や世界人権宣言に用いられている人間の尊厳概念が各国憲法において用いられていることは、どんな素人にも容易に理解できることである。
(10)次に刑法を見てみよう。
ポーランド刑法第256条及び第257条は国民、民族、人種及び宗教の差異、又はいかなる宗派にも属さないことゆえに公然と憎悪を煽動した者、その国民、民族、人種又は宗教関係ゆえに、もしくはいずれかの宗派に属さないことゆえに住民の中の集団又は諸個人を公然と侮辱した者、もしくはそれらの理由で、他人の人間の尊厳を侵害した者は訴追されるとする。
オーストリア刑法第283条は憎悪煽動を犯罪とし、教会、宗教共同体、民族集団を保護している。敵対行為の煽動や激励だけでなく、人間の尊厳を侵害する方法での集団に対する憎悪煽動や、侮辱又は軽蔑も犯罪である。
(11)次に実際の適用例を見てみよう。
ノルウェーでは、2003年7月、新聞のインタヴューでユダヤ人について、「ユダヤ人を根絶するために、社会で力を手にしたい」、「ユダヤ人が主敵だ。奴らはわれわれを殺してきたじゃないか。邪悪な殺人者なんだ。人間じゃない。始末しなければならないパラサイトなんだ」、「ユダヤ人はわれわれを何百万も殺してきた。我が国で権力を手に入れている」などと述べた事件で、最高裁判所は、実行者は明らかにユダヤ人の統合を侵害する行為を助長・支持したとし、この発言は重大な性格を持った侵害であり、集団の人間の尊厳を貶めたのであり、刑法第135条に違反するとした。
(12)結論

以上のように、国連憲章、世界人権宣言、複数の人権条約が人間の尊厳を用いている上、各国の憲法においても、刑法においても、実際の判決においても人間の尊厳が用いられている。しかもドイツ刑法関連規定の一部から人間の尊厳が削除されている。ところが、塚田はこれらすべてを無視して、人間の尊厳はドイツ基本法の「たたかう民主制」と結びついた特殊な概念であると言う。意味不明と言うしかない。