26日は曇り空だったが、南の空だけ青空で、国連欧州本部中庭からモンブランが良く見えた。この時期には珍しい、くっきりしたモンブランだ。
26日午後、国連欧州本部で、国連人権理事会の平和への権利作業部会のNGOとの非公式ミーティングが開催された。10日ほど前に急に案内があったもので、23日にジュネーヴに来たから参加できた。
冒頭に作業部会長のクリスチャン(コスタリカ大使)から経過説明があった。諮問委員会案を受けて作業部会を立ち上げて以後の、各国政府との交渉の経過、反対する諸国(アメリカ、日本、EUのこと)との協議の結果、そして諮問委員会草案から大幅に後退した宣言案になっていること、市民社会からの応援が必要であることなど。
カルロス(スペイン国際人権法協会)は、軍縮、平和教育、抵抗権、民間軍事会社、発展の権利などサンティアゴ宣言から削除された条項を列挙して、これでは平和への権利の本来的意義を損なうことを改めて強く訴えた。
国連女性大学連盟のメンバーは、作業部会の手続きは透明性が一応確保されているものの、政府間交渉の経過が見えないため、NGOとしての関与が難しくなっていることを指摘した。
ダヴィド(コスタリカ政府)が補足説明で、原状の案は短縮されているが、包括的な条項を入れることによって、反対国の批判をかわしていることを説明した。ダヴィドはもともとカルロスの弟子でNGO宣言の推進役だったが、現在はコスタリカ政府の一員として公式発言。
ある男性(NGO名はわからない)が、平和構築や平和教育など国連が力を入れてきたテーマを中心に提示すれば、反対が減るのではないかと述べた。
初めて参加したという女性が、環境問題、気候変動問題と絡めて各国を巻き込んではどうかと述べた。これまでの経過を知らないというので、クリスチャンが改めて少し説明していた。
私は、1973年9月7日の長沼訴訟の札幌地裁判決を紹介し、当時、札幌の高校生だったので初めて平和的生存権という言葉を知ったことから始め、その後、2008年の名古屋高裁判決、2009年の岡山地裁判決により、裁判所が法規範として平和的生存権を適用していることを紹介し、国際人権法の発展にとっても重要であると述べ、国連宣言にはright to live in peaceかright to life in peaceを入れるように要請した。クリスチャンは、コスタリカの憲法裁判所判決に触れて、各国の実例は非常に重要だとしつつも、日本とコスタリカだけで世界は動かないという姿勢だった。
その後、2~3人の発言があり、最後にカルロスが今後に向けての手続き上の要望を述べていた。
デ・ザヤス、ミコル、ミシェル・モノーは不参加、クリストフ・バーベイは参加したが発言せず。常時参加者は17名。数名が出入りしていた。アジアからは私のみ。ラテンアメリカからはクリスチャンのみ。他はみな欧州の白人だった。急に決まったジュネーヴでの会合なので、在ジュネーヴのNGOメンバーに限られるのはいたしかたないが、西欧中心になるのは困りものだ。次の公式会議が4月20日からジュネーヴ。私は参加できないが、平和への権利国際キャンペーン日本実行委員会から数名参加見込。