「市民的政治的権利に関する国際規約(国際自由権規約)」に基づく国際自由権委員会は、第129会期(2020年6月29日~7月24日)に「平和的な集会の権利に関する一般的勧告第37号」を採択した。
平和的な集会は国際自由権規約第21条に定めがある。
「平和的な集会の権利は、認められる。この権利の行使については、法律で定める制限であって国の安全若しくは公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳の保護又は他の者の権利及び自由の保護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も課することができない。」
第21条の解釈のために国際自由権委員会がこれまでの審議を踏まえ、現在の国際人権法の水準で確認したのが一般的勧告第37号である。一般的勧告第37号は全部で102のパラグラフから成る長文であるが、その中にヘイト・スピーチに関連するパラグラフがあるので、以下で紹介したい。
一般的勧告第37号は次のような構成である。
Ⅰ 序論
Ⅱ 平和的な集会の権利の射程
Ⅲ 平和的な集会の権利に関する当事国の義務
Ⅴ 届出制
Ⅵ 法執行機関の義務と権限
Ⅶ 緊急事態及び武力紛争における集会
Ⅷ 国際自由権規約第21条、その他の規定、その他の法制の関連
規約第21条は平和的な集会の権利の法律に基づく制限を次のように明示している。
①公共の安全
②公の秩序
③公衆の健康若しくは道徳の保護
④他の者の権利及び自由の保護
一般的勧告第37号によると、平和的な集会の権利は、規約第21条の他に、世界人権宣言第20条1項、欧州人権条約第11条、米州人権条約第15条、アフリカ人権憲章第11条、アラブ人権憲章第24条に規定されている。また、子どもの権利条約第15条、人種差別撤廃条約第5条(d)(ix)、アフリカ子どもの権利憲章第8条にも規定されている。さらに、欧州安全協力機構のワルシャワ・ガイドライン、アフリカ人権憲章に基づくバンジュール・ガイドライン、米州人権委員会・表現の自由特別報告者の社会的抗議の権利基準がある。欧州人権裁判所や米州人権裁判所の関連判例がある。加えて、国連加盟国193カ国の内184カ国の憲法に集会の権利が規定されている。これらの規定と解釈を参照する必要がある。
*上記の「ワルシャワ・ガイドライン」は、私が勝手に命名したもので、国際的にはこの名称ではない。
前田朗「デモの自由を獲得するために――道路の憲法的機能・序論」三一書房編集部編『デモ!オキュパイ!未来のための直接行動』(三一書房、2012年)120~144頁。
[ここで紹介したのは2007年の第1版である。その後、同ガイドラインは改訂され現在は2019年の第3版となっている]
*一般的勧告第37号全体の紹介はここでは行わない。国際自由権委員会の一般的勧告については、これまで日弁連が精力的に翻訳・紹介を行ってきた。一般的勧告第37号はまだ掲載されていない。
一般的勧告第37号の「Ⅳ 平和的な集会の権利の制限」は、上記①~④についての解釈を提示している。「④他の者の権利及び自由の保護」の中に、ヘイト・スピーチに関連する記述がある。
パラ47パラでは、「他の者の権利及び自由」の保護のために課される制限は、集会に参加していない他の者の規約やその他の人権の保護に関連することが確認される。
パラ48では、第21条で用視される制限のための一般的枠組みに加えて、追加の条件が重要であるとする。権利の実現の中心は、いかなる制限も、原則として、内容中立的であり、集会によって伝達されるメッセージに関連しないことが要請されるという。そうでなければ、まさに平和的な集会の目的が、人々に思想を前進させる政治的社会的参加の潜在的手段とすることができなくなる。
パラ49では、表現の自由に適用できるルールは、集会の表現的要素を扱う場合にも適用されるべきであるという。平和的な集会への制限は、明示的であれ黙示的であれ、政府に対する政治的反対者、政府の民主的転換のような当局への挑戦の表現を妨害するために用いられてはならないとする。公務員や国家機関の名誉や名声に対する批判を禁止するために用いられてはならない。
パラ50では、国際自由権規約第20条に従って、平和的な集会は、戦争の宣伝(第20条1項)、又は差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道(第20条2項)のために利用してはならないとされる。主なメッセージが第20条の範囲にある集会の参加者は、第19条及び第21条に示された制限のための要件に合致して対応されなければならないという。
パラ51では、一般論として、旗、制服、サイン及び横断幕の使用は、過去の苦痛を想起させるとしても、表現の合法的形式とみなされ、制限されてはならないとする。例外的場合、そのシンボルの使用が直接に及び主要に、差別、敵意又は暴力の煽動(第20条2項)と結びつく場合、適切な制限が適用されるべきである。
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上記パラ50では、5つの文書が註に掲げられている。
① 国際自由権委員会・意見表現の自由に関する一般的勧告第34号(パラ50~52)
https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/kokusai/humanrights_library/treaty/data/HRC_GC_34j.pdf
② 人種差別撤廃条約第4条
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/conv_j.html
③ 人種差別撤廃委員会・人種主義ヘイト・スピーチと闘う一般的勧告第35号
https://www.hurights.or.jp/archives/opinion/2013/11/post-9.html
④ ラバト行動計画(パラ29)
http://imadr.net/wordpress/wp-content/uploads/2018/04/9c7e71e676c12fe282a592ba7dd72f34.pdf
⑤ 権利のための信仰に関するベイルート宣言
https://maeda-akira.blogspot.com/2021/02/blog-post_19.html
上記パラ51では、2つの文書が註に掲げられている。
① OSCEとヴェニス委員会「平和的な集会の自由ガイドライン」(パラ152)
[ワルシャワ・ガイドライン]
② 欧州人権裁判所ファーバー対ハンガリー事件判決(2012年10月24日)パラ56~58
平和的な集会と言えるためには、ヘイト・スピーチを行ってはならないことが明確である。
これに対して、日本の議論では、どんなにヘイト・スピーチを行っても平和的な集会であるという異様な見解がまかり通っていることに注意。
なお、日本では「道路の交通機能」「道路の輸送機能」「道路の経済的機能」が圧倒的に優先される。私はデモやアートやお祭りパレード等の表現行為について「道路の憲法的機能」と呼んでいるが、憲法学者は誰も賛同してくれない。