<被害者中心アプローチ>の中核は、被害事実認定、謝罪、賠償、加害者処罰、再発防止、被害者救済(補償、リハビリテーション)等々だが、真実と記憶をめぐる議論はいまも継続中である。
「慰安婦」問題では、記憶の問題を「記憶する側」「研究者」に引き付けて理解する傾向が増えてきたが、原点を見失った議論はいつ二次加害に転化するかわからない。「アウシュヴィツの嘘」「ホロコースト否定」「歴史修正主義」の犯罪に向き合う必要がある。
不正義を美化・称賛するメモリアルへの批判と、真実を残すメモリアルとの「論争」が作り出されることになる。
旧ソ連東欧圏でレーニン像が破壊されたこと、イラクでフセイン像が倒されたこと、アメリカで南北戦争の英雄像が社会問題となったことが想起される。
ルーマニアでは、ファシズム・シンボル法が制定され、ファシストのシンボル(旗、紋章、バッジ、制服、スローガン、公式・決まり文句のあいさつを、公共の場で用いると犯罪になることがある(前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』三一書房、608頁)。
他方、被害者側の真実への権利、記憶してもらうこと、語りを聴いてもらうこと等の関連では、「平和の少女像」も重要な位置にあるし、「慰安婦」メモリアルデーも同様の意味を持つ。真実への権利の欧州での議論では、博物館、記念館、歴史教育にも言及がある。
<被害者中心アプローチ>をめぐって(5)において次のように書いた。
「私たちは新しい国際メモリアルデー運動を始めた。金学順さんがカムアウトした八月一四日を記念して、先月、東京その他世界各地で最初のメモリアルデー行事をもち、八月一四日を国連メモリアルデーにしようと宣言した。」
https://maeda-akira.blogspot.com/2021/02/blog-post_96.html
忘れかけていたが、私が国連人権理事会にこの報告をしたのは2013年9月12日のことだ。前年12月に台北で開催された第11回アジア連帯会議で、8月14日を「日本軍『慰安婦』メモリアル・デー」とすることが決まった。そこで春頃に、メモリアルデーを作る運動を立ち上げるための学習会で国際メモリアルデーについて話した。その内容を基に、たしか日本の戦争責任資料センターの『Let’s』に一文を書いたはずだが、データがみつからない。さがしてみると、学習会のために準備したメモがあったので、その一部を紹介する。
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(1)一月二七日 ホロコースト犠牲者の記憶記念デー
一九四五年一月二七日、ナチス最大のアウシュヴィツ強制収容所がソ連軍によって解放された日をもとにしている。国連で承認されたのは比較的新しく、二〇〇五年のことであった。それ以前に一九九六年、ヘルツォーク・ドイツ連邦共和国大統領が提唱してドイツなどで記念式典が催され、二〇〇一年からはイギリスやイタリアなど各国に広がった。それを受けて、ナチス収容所解放六〇周年を機に、二〇〇五年一月二四日、国連総会決議が採択され、一月二七日が国連デーとなった。イニシアティヴをとったのは、シルヴァン・シャローム・イスラエル外相だった。決議は、ホロコーストの歴史教育の発展、ホロコーストの否定を拒否すること、人種的不寛容や、民族的出身や宗教的信念に基づく煽動や暴力を非難することを明示している。その後、毎年、国連本部で記念行事が行われている。
(2)三月二一日 人種差別撤廃デー
一九六〇年三月二一日、南アフリカ共和国においてシャープビル事件が起きた。アパルトヘイト法に反対するデモが行われたが、デモ隊は平穏に行進していたにもかかわらず、警察が発砲して大混乱となり、六九人の市民が殺害された。南アフリカではかなり以前から、子の火がパブリック・ホリデーとなっていた。一九六六年一〇月二六日、国連総会決議によりこの日が国際デーとなった。その後、毎年、国連本部でも南アフリカでも記念行事が行われている。
(3)四月七日 一九九四年ルワンダ・ジェノサイド反省デー
一九九四年四月七日、ルワンダにおいてツチ民族に対する迫害と虐殺が始まり、八〇万と言われる虐殺が行われた。二〇〇四年四月七日、国連総会で決議が採択された。キガリ(ルワンダ)、ニューヨーク(アメリカ)、ダルエスサラーム(タンザニア)、ジュネーヴ(スイス)で記念行事が行われ、一分間の黙祷が行われた。
(4)五月八・九日 第二次大戦時に生命を失った者の記憶と和解の時
一九四五年五月八日、ナチス・ドイツが無条件降伏をし、アドルフ・ヒトラーの第三帝国が終焉した。二〇〇四年一一月二二日、国連総会で決議が採択された。決議は、各国、国際機関、NGOに、第二次大戦犠牲者に敬意をささげるように呼びかけている。
(5)八月二九日 核実験反対デー
一九九一年八月二九日、セミパラチンスク核実験場が閉鎖された。二〇〇九年一二月二日、カザフスタンが提案した国連総会決議が全会一致で採択された。決議は、核実験爆発の影響に言及し、核兵器のない世界という目標を達成する手段の一つとして核実験中止の必要性を訴えている。
(6)一一月二五日 女性に対する暴力撤廃デー
一九六〇年一一月二五日、ドミニカ共和国で、政治活動家であるミラバル三姉妹が、トルヒーヨ独裁政権によって暗殺された。一九八一年、主にラテン・アメリカの活動家たち、NGOが、女性に対する暴力と闘う日として記念行事を行ってきた。一九九三年五月、ウィーン世界人権会議で女性に対する暴力のテーマが正式に取り上げられ、一二月には国連総会で女性に対する暴力撤廃宣言が採択された。翌年から国連人権委員会の議題となり、その後、現在にいたっている。一九九九年一二月一七日、国連総会決議によって国際デーとなった。その後、毎年、国連、列国議会同盟、UNIFEMが記念行事を行っている。
(7)一二月二日 奴隷廃止デー
一九四九年一二月二日、国連総会は人身売買禁止条約(人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約)を採択した。国連は一九八六年以来、この日を国際デーとして記念してきた。