Friday, February 03, 2017

見たくなかった日本のレントゲン写真

中村一成『ルポ 思想としての朝鮮籍』(岩波書店)
名著を読み終えた後しばらくは他の本が読めなくなる。読後感をまとめるのも難しい。頁をめくっては記述のあちこちを反芻し、時に感銘を受け直し、時に悩み、時に初読時に気づかなかった発見に気づくこともある。
2017年最初の名著に、著者に感謝。『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』に続く本書は再読、三読を必然・義務と感じさせる。
<イデオロギーではなく今なお譲れない一線(=思想)として「朝鮮籍」を生きる.高史明,朴鐘鳴,鄭仁,朴正恵,李実根,金石範――在日にとって特に苛烈だった4060年代を含め,時代を駆け抜けてきた「歴史の生き証人」たちの壮絶な人生とその思想を,ロング・インタビューをもとにルポ形式で克明に抉りだす.在日から照射する「戦後70年史」.>
「在日朝鮮人」とは何か。この問いに応えられる日本人はいまなおほんの一握りしかいないだろう。朝鮮植民地支配による日本籍の押し付け。強制連行その他の渡日の歴史。昭和天皇最後の勅令による有無を言わせぬ国籍剥奪。外国人登録法体制下の管理と抑圧。日本における民族教育の死守。南北分断による韓国籍と「朝鮮籍」。多数の人々の帰化と「朝鮮籍」へのこだわり。これらの歴史過程を思い起こすだけでも大変な知的営為を必要とする。おそらく人類史に、これと比すべき事例がほとんどないのだから。まして、「在日朝鮮人」は一般化不可能な「歴史体験」であり「個人体験」である。一人ひとりの「在日の暮らし」があり「体験」があり、そこで初めて成立した「思想」がある。襞の一つひとつをていねいに克明に記録する作業は、他の著者にはできないだろう。中村一成と書いて「なかむらいるそん」と読む、この著者の体験と思いを抜きに本書を理解することはできない。高史明、朴鐘鳴、鄭仁、朴正恵、李実根、金石範という、知名度の高い在日朝鮮人の体験史ではあるが、本書が独特の光を放つのは中村一成のまなざし、震え、危機感がじわりじわりじわりじんわりと伝わってくる。<日本>のレントゲン写真がこれほど鮮やかに提示されたことはないだろう。多くの日本人が見たくないレントゲン写真だ。
「『戦争放棄』を唱えつつ、一方の国家殺人『死刑』を支持、黙認し、『基本的人権の尊重』を言いながら、『元国民』である在日朝鮮人がその享有主体から排除されている現状を看過する。『平和国家』を口にする一方で米国の戦争に付き従う――。これらの欺瞞を多くの日本人はそれとして認識してきたか? 倫理と生活を切り離し、日常の安定を謳歌してきた結果が、数年来、吹き荒れるレイシズムであり、『戦後』という欺瞞を最悪の形で解消しようとする第二次安倍政権の誕生ではなかったか。」