本年4月に出版された本だが、恥ずかしながら、見落としていた。
<まなざされるものから まなざす主体へ――>
「沖縄」をまなざし、語り、「沖縄」に癒され、「沖縄問題」をつくりだす主体=日本人との「闘い」を余儀なくされた、強要されてきた著者たちによる報告である。
<PR誌「未来」誌上にて現在も続く好評連載「沖縄からの報告」の、二〇一〇年から二〇一二年までの二年間のレポートを一冊に収録。基地移転問題をはじめ、ケヴィン・メアの沖縄に対する暴言や沖縄防衛局長(当時)の「これから犯す前に犯しますよと言いますか」といった発言をめぐり、そのときどきに渦巻いた沖縄からの反応をとりあげる。各執筆者の多様な視点による沖縄の「いま」が見えてくる。>
「沖縄問題」とは「日本問題」である。あるいは、「日米両国による沖縄支配問題」である。軍事植民地・沖縄に対する日米両政府による基地の押しつけ、基地犯罪、米兵犯罪の押しつけは、本書出版後、さらに激化している。オスプレイ配備と、米兵による女性への「暴行」事件。
植民地人民として思想の闘いを敢行している著者たちの声を、(残念ながら)宗主国人民の一人として、いかに聞くべきか。植民地主義と人種主義を批判してきた私の思想と実践が問われることは言うまでもない。
著者の一人である知念ウシには、一度、東京でお話を伺ったことがある。「東アジア歴史・人権・平和宣言」を作成する過程での学習会だが、私がインタヴューする形で、知念の著書『ウシがゆく――植民地主義を探検し、私をさがす旅』を手掛かりに話をしてもらった。
琉球処分は政治的植民地化の転換点であり、沖縄戦や、沖縄に関する天皇メッセージは、植民地主義の極端な現象形態であり、「復帰後」の基地問題をはじめとする沖縄差別と沖縄収奪もやはり植民地主義である。このことを自覚し、問い直していくことが第一歩である。
野村浩也『無意識の植民地主義』や、同編『植民者へ』が、その重要な問題提起にもかかわらず、相応の処遇を得ていないように見える。おそらく本書も同様の扱いを受けるのではないだろうか。未来社社長の西谷能英が本書の発起人であり、沖縄の声を「日本」に送り届けていることに感謝しつつ、本書の意義を伝えることに協力したい。
沖縄の米軍基地問題に関心のある者は、それがいかなる意味の「問題」なのかを考えるために、本書を読むべきである。沖縄の政治、経済、社会、文化に関心のある者も、沖縄の多様性を知るために、本書を読むべきである。「沖縄問題」として現象する「日本問題」について、正面から考えることが重要である。植民者の手をいかにして引っ込めるのか、私たちは真剣に議論しなければならない。
「復帰後世代」4人の著者は次のように紹介されている。
<知念ウシ(ちねん・うし) 66年生。むぬかちゃー(ライター)。著書に『ウシがゆく―植民地主義を探検し、私をさがす旅』、共著に『人類館』『あなたは戦争で死ねますか』『植民者』など。
與儀秀武(よぎ・ひでたけ) 73年生。文化批評。論文に「沖縄と日本国憲法」(「情況」二〇〇八年五月号)など。
後田多敦(しいただ・あつし) 62年生。「うるまネシア」編集委員。著書に『琉球の国家祭祀制度』。
桃原一彦(とうばる・かずひこ) 68年生。沖縄国際大学総合文化学部。社会学、ポストコロニアル研究。著書に『「観光立県主義」と植民地都市の「野蛮性」』ほか。>
1962年から73年までの生まれということは、おおむね40歳代ということだ。中堅世代と言ってよいのだろうか。ほんの少し前まで若手世代と呼ばれていたのだろう。高齢化した現在の日本では、40歳代はなるほど中堅若手の位置にいる。しかし、復帰の頃に活躍した復帰世代の論者たちはどうだっただろうか。