Tuesday, October 23, 2012

レイシズム研究に学ぶ(2)


鵜飼哲・酒井直樹・テッサ・モーリス=スズキ・李孝徳『レイシズム・スタディーズ序説』(以文社、2012年)

 

今日のBGMはVivaldiGloria。2010年にローザンヌ(スイス)のカテドラルで演奏されたもので、指揮はジャンルイ・ドス・ガリ、ソプラノはブランダン・シャルル、メゾゾプラノはアネット・ランジェ、アルトはカリン・リヒター。コーラスとオーケストラはローザンヌ・カテドラルの音楽隊。今夏、カテドラルでCDを購入した。

 

さて、テッサ・モーリス=スズキ「グローバル化されるレイシズム」は、2010年2月に本願寺札幌別院で行われた「東アジアの平和のための共同ワークショップ」での講演記録である。続く、テッサ・モーリス=スズキ「移民/先住民の世界史――イギリス、オーストラリアを中心に」は、李孝徳によるインタヴュー記録である。

 

グローバル化されたレイシズムにかかわる3事例として、第1にオランダの極右政治家ウィルダースとその運動、第2に2005年12月にオーストラリアで起きた「クロヌラの暴動」、第3に在特会である。それぞれの具体的事例を通じて、各地のレイシズムの減少の特徴と共通性が明らかにされる。

 

「21世紀にグローバル化されつつあるレイシズムを検証してみると、それぞれの国のレイシズム運動の中にある類似点に気がつきます。それぞれの国でのレイシズム運動を誘発する、経済的・社会的な背景は同様だ、といってもそれほど間違っていないかもしれません。またそういったレイシズム運動がつくりだす他者、よそ者に対するステレオタイプとかジェンダー的な意味づけには、深い類似性が認められる。」

 

「われわれ」と「かれら」を対置し、「かれら」の責任を論難し、「われわれ」の問題を回避し、「かれら」に「出ていけ」と迫る「典型的なフレーズ」である。

 

その通りである。ただし、上の引用の「21世紀にグローバル化されつつある」を削除しても、同じことが言える。

 

レイシズムへの対抗策として、

 

1 社会的格差が要因なので、富の再配分。

2 レイシズムに対抗する法制度の整備。

3 反差別教育。

4 メディアの重要性。

 

これらについて、オーストラリアなどでの具体的取り組みも紹介されている。

 

「問題の解決は他者(かれら)にはありません。じつは他者(かれら)も、同じ経験をして、同様に苦しんでいるのです。ですから他者(かれら)を排除するのではなく、連帯し手をつないで、グローバルに展開される経済・社会問題に立ち向かう必要がある、と私は信じます。それは同時に、グローバル化されるレイシズムに対抗する方法なのですから。」

 

これもその通りで、納得。とはいえ、その一歩先を聞きたいところだ。問いに問いをもって答えている印象だからだ。

 

インタヴューでは、イギリスからオランダ、ソ連、日本、韓国、オーストラリアへと、研究を進め、移動してきたテッサ・モーリス=スズキの問題関心、知見が披瀝され、興味深い。グローバル化したレイシズム研究にまさに適任の研究者であり、幅広い関心とすぐれた分析を読むことができる。

 

オーストラリアでアボリジニ権利運動にかかわってきたゴードン・マシューズが自分のルーツを探ったところ実はアボリジニではなく、スリランカ系とわかった時のエピソードも紹介されていて、さらに興味深い。

 

アイヌと日本についても、『辺境から眺める』の著者だけあって、アイヌモシリから日本を逆照射する視点が明確である。

 

フランスの普遍主義に隠れ潜むエスノセントリズム(自民族中心主義)の指摘も重要である。納得。もっとも、もう少し議論を深めてほしかった。今後の楽しみでもある。