同じ著者の本を読んできたので、少しさかのぼって2007年出版の本書を読んでみた。
検察出身だが、この時点では、桐蔭横浜大学法科大学院教授、同じ大学コンプライアンス研究センター長である。その後、名城大学教授となり、最近は関西大学教授という。頻繁に移動するのが趣味のようだ。
本書で、著者の最近の検察批判の文脈がよくわかった。著者の主たる関心は、組織論、組織再生論であり、本当のコンプライアンスを日本に導入することである。
というのも、従来「コンプライアンス(法令遵守)」とされることが多く、それでは誤解を招くことが多い。単に「法令遵守」では、不祥事を起こした企業の再生は図れない。問題を生じさせる構造的原因を解明して、本当の解決をする必要がある。
著者は「フルセット・コンプライアンス」という表現を用いて、組織が社会的要請にこたえるために必要な要素を列挙している。そして、予防的コンプライアンス、治療的コンプライアンス、環境整備コンプライアンスを説く。
経済法分野では、日本の法令は実態に即していない。その状態を放置したまま法令遵守を唱えても効果はなく、むしろ事態が悪化する場合もある。適切な法令がないのに、特捜検察が経済社会に介入し、ライブドア事件や村上ファンド事件のような強引な法解釈による摘発を行ったことは、検察自身が法令順守の名のもとに法令軽視を進めたことになる。
著者は、日本は法治国家ではないと言う。「法令国家」ではあるが「法治国家」ではないという。なるほどと思う。検察や裁判所の法適用自体が、法令遵守原理主義ではあっても、法治国家としての適正な法運用になっていない。そのことは、従来、司法の外から厳しく批判されてきた。しかし、検察も裁判所も外野からの批判には耳を貸さない。
著者は、検察出身者の、いわば内部の視点で検察批判を厳しく展開している。他社/他者にコンプライアンスを問う検察自身が腐敗し、まさにコンプライアンスが求められているのだが、とうていそれに応えず、証拠改竄、証拠捏造、検察犯罪の隠ぺいに躍起になっている。
そのことを本書でわかりやすく説いている。2007年の時点で検察組織が本書に学び、襟を正していれば、今日の最悪の事態は避けられたかもしれない。