郷原信郎『検察が危ない』(ベスト新書)
<検察は劣化し、暴走を続け、マスコミは事実を歪めた「大本営発表」を垂れ流し続ける。このままでは日本の民主主義が危ない。
「政治とカネ」の問題を気鋭の筆でぶった切る!>
数日前に、郷原信郎『検察崩壊』を読んだ。
そこで、本書も読んでみた。本書は2010年4月出版である。その時点で、著者が、元検事・元東京地検特捜部出身として、東京地検特捜部の頽廃と暴走を指弾する立場を鮮明にしている。2006年に退職して弁護士となって4年目である。
1992年の東京佐川急便事件で金丸5億円ヤミ献金事件の「腰砕け」により世論から厳しい批判を受けた検察が、汚名挽回のために「起死回生」の金丸脱税事件で金丸を基礎に持ち込んだが、そのために無理を重ねたことが、その後の検察の歪みとなって現れることになったという。歪みが表面化したのがゼネコン汚職事件以後の捜査と訴追であった。
そして、ライブドア事件、村上ファンド事件、小沢一郎陸山会事件・石川知識裕議員逮捕事件・田代検事証拠捏造事件などにつながる。「ガダルカナル化する特捜検察」という言葉が本書で用いられている。田代検事事件で市民の会がこの言葉を使っているが、発案は著者のようだ。的確な比喩だが、ガダルカナルの人々にとっては日本人が勝手に押し付けたイメージであろう。
他方、村山治『検察――破綻した捜査モデル』では「時代遅れのガラパゴス」という表現が使われている。
http://maeda-akira.blogspot.jp/2012/09/blog-post_18.html
ガダルカナルに、ガラパゴス。日本検察の頽廃と暴走を表現する適切な比喩かもしれない。
ただし、1992年以後に、というのは違うだろう。もともと、まともな人権感覚を持たない検察であり、歪みだらけの存在だったのだ。司法に携わる資格のない組織が権力を握り続け、無法な権力司法をもてあそんできたのである。そのことに目をふさいで、いくらコンプライアンスと叫んでも、「検察革命」はできない。