今日の午後は、経済産業省前の脱原発テントを訪問。ニューイヤーコンサートだった。3か月ぶりの訪問だ。徐々に減っていないか、と反省。
続いて、渋谷ユーロスペースで、原発をテーマにした映画『おだやかな日常』(監督:内田伸輝)。
福島原発事故の影響を市民がどのように受け止めさせられたのか、をテーマにした映画と言えばいいのだろうか。
あるMLで紹介されていたが、そこでは、『希望の国』と違って、本作は<インデペンデント>なのであまり知られていないので、という言葉が書かれていたように記憶している。
どうしても『希望の国』と比べてしまう。
『希』は、有名俳優を使っている。
『希』は、舞台を福島に設定している。本作は違う。どこと明示されていないが、撮影場所は埼玉県戸田市。
『希』は、親子2世代のそれぞれの夫婦の苦悩をえがいている。本作は、アパートの隣に住む2組の夫婦(ただし1組は映画始まり早々に離婚宣言)の物語。壊れた夫婦と、壊れそうになっても持ち直しそうな夫婦。
『希』も本作も、原発問題本体ではなく、内部被曝問題を取り上げている。内部被曝と闘えるのか、闘えないのか。
『希』も本作も、内部被曝に敏感な者と、そうではない者との対立を描いている。本作の場合は、敏感でない者は電力会社の下請けの社員と明示されている。
『希』も本作も、主役は最後に西に逃げる。場所は明示されていないが、被ばくを避けるために。首都圏から西(おそらく関西)へ逃げる話である。そのことをもっと堂々と明示すべきなのに、両作とも、そこは多少なんとか、ごまかしている。なぜごまかすのか。
結構いい映画と思うが、理解できない点も。
『希』の時には考えてもいなかったが、本作は、「日本/アメリカ」の資本による制作である。
これを<インデペンデント>と宣伝することの意味は何か、と不思議に思う。
映画に登場するのはおかしな「フランス人」というところにも、ゆがんだ悪意がにじみ出ている。「アメリカ」の意味の説明がなされていない。アメリカさまさま人間、なのか。
何から<インデペンデント>なのか。
まあ、製作者も、監督も、推薦者も、日本の原発には反対でも、アメリカ原子力ムラの利害関係者なのかも、と嫌がらせを書いておこう。
そこにこそ、「おだやかならざる日常」の本当の意味が浮上する、と思う。