Monday, January 14, 2013
体罰は拷問等に当たる
桜宮高校の体罰問題を契機に体罰論議が行われている。体罰は必要悪であるかのように述べる政治家や評論家も少なくない。
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2009年の国連人権理事会拷問問題特別報告者マンフレッド・ノヴァクの報告書は、死刑がテーマだが、その中で、欧州人権裁判所が、マン島における体罰(ムチ打ち)を欧州人権条約第3条の「品位を傷つける刑罰」に当たると解釈したことが紹介している。
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ノヴァク報告書を紹介した文章を下記に貼り付ける。
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拷問等禁止条約も「拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱又は刑罰」を禁止している(1条、16条)。
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国連人権理事会拷問問題特別報告書
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『救援』2009年5月号
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本年三月に開催された国連人権理事会第一〇会期に提出されたマンフレッド・ノヴァク「拷問問題特別報告者」の報告書(A/HRC/10/44)は、死刑の残虐性に焦点を当てている。議論自体は古くからあるものだが、現在の国際人権法の光を当てる試みである。
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身体刑と死刑
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ノヴァク報告者は、まず死刑廃止の潮流を確認する。一九五〇年の欧州人権条約第二条、一九六六年の自由権規約第六条、一九六九年の米州人権条約第四条、一九八九年の子どもの権利条約第三七条による死刑の制限がある。死刑廃止は、一九八三年の欧州人権条約第六追加議定書、二〇〇二年の同第一三追加議定書、一九九〇年の米州人権条約追加議定書、一九八九年の死刑廃止条約。そして事実上の廃止国は、二〇〇八年一一月に一四一カ国に増えた。死刑廃止の潮流は、戦争犯罪や人道に対する罪のような最も重大な犯罪についても国際刑事裁判所規程が死刑を採用しなかったことに顕著である。人権委員会の二〇〇五年決議や国連総会の二〇〇七年決議および二〇〇八年決議もある。こうした潮流によって古い国際法の解釈にも変化が生じている。「残虐、非人道的、または品位を傷つける取扱い・刑罰(以下「残虐な刑罰」)」の意味も大きく変化しているので、動態的解釈が求められるとする。
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動態的解釈による「残虐な刑罰」の意味の変容の典型が、身体刑の禁止に示されているという。身体刑を死刑と比較するのは、心身の苦痛という観点だけではなく、人間の尊厳という観点になってきた。欧州人権条約が成立した一九五〇年には、欧州では家庭における体罰や学校、監獄、軍隊などにおける懲罰のような身体刑は容認されていた。換言すると、比較的穏やかな身体刑は「残虐な刑罰」に当たらないと解釈されていた。しかし、六〇~七〇年代に変化が生じて、一九七八年、欧州人権裁判所は、タイラー対大英連合事件判決において、マン島における伝統的な子どもに対する懲罰としてのムチ打ちは欧州人権条約第三条の意味で、もはや許されない品位を傷つける刑罰であると動態的解釈を行った。四年後、自由権規約委員会は、教育手段としての過剰な体罰は自由権規約第七条で禁止された身体刑であると全会一致で判断した。二〇〇〇年、オズボーン対ジャマイカ事件で、臀部十回ムチ打ちを禁止された身体刑とした。欧州人権裁判所、米州人権裁判所、アフリカ人権委員会、拷問禁止委員会、拷問問題特別報告者、およびウガンダ憲法裁判所も同様に判断した。一九九三年の女性に対する暴力撤廃宣言は、身体刑の禁止は、家庭という私的領域にも及ぶとした。国家には女性をドメスティック・バイオレンスから保護するために立法その他の措置を講じる責務がある。子どもの権利委員会によれば、国家には子どもの権利条約第一九条に基づいて子どもへの身体刑を禁止・予防する責務がある。
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死刑の残虐性
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身体刑に関する法解釈は死刑にも同じように適用されるべきではないか。死刑は身体刑の加重形態ではないのか。身体の切断が残虐な刑罰ならば首切りは違うといえるのか。臀部十回ムチ打ちでさえ国際人権法のもとでは絶対禁止されているのに、絞首、電気椅子、銃殺などの死刑が正当化されることがありうるのか。
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ノヴァク報告者は、国際人権機関がこの問いに必ずしも明確に答えてこなかったという。欧州人権委員会でさえ「死刑それ自体」が欧州人権条約第三条違反とは結論付けていなかった。生命権と人間の尊厳をめぐる議論は、死刑執行方法によって異なっていた。石打刑のように意図的に苦痛を長引かせるものについては残虐な刑罰だと一致が見られた。しかし、今日の「人道的な」執行については見解が分かれた。一九九三年、キンドラー対カナダ事件で、自由権規約委員会は、注射による死刑を非人道的な刑罰と判断しなかった。二〇〇八年、ベイズ対リース事件で、アメリカ連邦最高裁も同様であった。他方、Ng対カナダ事件で、自由権規約委員会は、ガス窒息死刑は残虐な刑罰とした。二〇〇三年、自由権規約委員会は、スタセロヴィチ対ベラルーシ事件で、銃殺を規約違反とはせず、息子の執行日や墓の場所を母親に告知しなかったことが母親に対する非人道的な取り扱いだとした。恣意的処刑特別報告者は、執行直前まで本人に知らせずに行う執行や、家族にも事後通知の場合を非人道的で品位を傷つけるとした。
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他方、死刑囚房についても争いがある。一九九三年、大英連合高等法院は、プラット・モーガン対ジャマイカ総督事件で、五年以上の拘禁は非人道的で品位を傷つける取り扱いの憲法上の禁止に違反するとした。自由権規約委員会は、十年以上であっても自由権規約第七条違反でないとしている。 *****
以上を踏まえて、ノヴァク報告者は死刑と人間の尊厳について、多様なアプローチが必要だとして、まとめている。国際人権機関が身体刑を残虐な刑罰と判断した時に、身体刑がもたらす苦痛について検討していないことに注目する。苦痛を与えなくても、人間の尊厳を保護する目的に反すれば残虐な刑罰に当たると理解できるからである。国連総会が各国に死刑廃止の観点で執行猶予を呼びかけた時、死刑執行は人間の尊厳を害すると述べている。国連加盟国の明確な多数意見であるから、死刑は残虐な刑罰を科されない権利を侵害するといえる。子どもの権利条約は、生命権に関する第六条ではなく、残虐な刑罰を禁止した第三七条において少年への死刑を絶対禁止している。拷問禁止委員会は、死刑そのものが残虐な刑罰か否かについて明示的判断を下していないが、死刑廃止のための手続きをとるよう各国に呼びかけている。死刑それ自体が残虐な刑罰と判断した国内裁判所としては、ハンガリー、リトアニア、アルバニア憲法裁判所があるが、一九九五年のマクワニャン・ンチュヌ事件における南アフリカ憲法裁判所判決がもっとも重要である。
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以上のようにノヴァク報告者は、死刑の残虐性についての国際人権法による動態的解釈を呼びかけている。人間の尊厳と死刑に関する動態的解釈を行うことで、身体刑と死刑の関連がいっそう明らかになり、死刑廃止に向けた普遍的潮流が確実なものになるとし、国連人権理事会が死刑に関する包括的な研究を進めるように提案している。
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死刑の残虐性は日本でも議論され尽くしたと思われがちだが、国際人権法の展開を踏まえた議論はまだまだ必要だ。